( ゚Д゚)<Re: Remembrance of Images Lost

「しかし、想定事項をもとに小説は書けない。われわれが見、聞き、嗅ぎ、触れるものは、われわれが何かに対して信仰を持つことなどよりずっと以前にわれわれに影響を与えているのであり、南部という土地は、われわれが一つの音を聞き分けた瞬間からわれわれの上にその姿を刻印している。小説のために想像力を働かすことができるようになるまでに、われわれの五感は、ある一つの現実と、もう取り返しのつかぬほど深い感応の関係をうちたてているものである。この感覚をとおして、ある特別な社会、ある特別な歴史、特別な音、特別な言葉づかいと自分が結びつけられているという事実の発見は、作家にとって一つの認識のはじまりなのであって、この認識が、彼の作品をまず最初に真の人間的パースペクティヴの中におくのである。南部人のカトリック作家が、想像力の源に下降していって見出すものは、カトリック教によって生きる生活ではなくて、彼が生まれた地ではあるが同時に自分とは異質の南部という土地の生活である。彼は、そこで想像力が自由ではなくて、束縛されたものだと知るのだ。」
フラナリー・オコナー「南部のカトリック作家」)