( ゚Д゚)<Re: antipornography

「われわれが対象を感知しようとしているさいの体験を思い浮かべてみると、感覚と概念化の中間に、イメージ照合の過程があることが分かる。これこそ、感知機能の主要な部分である。このイメージ照合の機能を錬磨することにより「読みとる」能力を高めようとするのが、イメージ・トレーニングである。ただし、イメージと言うと通常、視覚イメージを思い浮かべることが多い。現代人の生活習慣がそうなってしまっているせいだから仕方がないことではあるが、より原始的作業である精神療法にとって、この限定は致命的である。五感イメージ・トレーニングとは、イメージ能力の原初のありようを再活性化する試みである。すなわち、「眼耳鼻舌身」によって捉えられる「色声香味触」の五感すべての領域で、イメージ照合の努力を続けることで、五感それぞれのイメージ界を活性化しようとするのである。そのさい、五感をばらばらに錬磨するよりも、同一の対象に五感をそれぞれ向けるのがよい。花を見、手に取り、香りを嗅ぎ、蜜を舐めてみるのがそれである。
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 しばらくこのトレーニングを続けていくと、五感イメージが総動員されやすくなってくる。そうなることは、幻想機能を脹らみやすくすることである。客観的、科学的対象把握を志している人びとには、受け入れ難い方向であるかもしれない。しかし、精神療法における「読みとる」「関わる」「伝える」の三つの技術の冴えは、ほとんど、この幻想機能の冴えに懸かっているのである。
 例を挙げて説明してみよう。ポルノグラフィーというものは、客観的、科学的には視覚イメージのみを伝達する。試みに、そう限定して眺めてみると、まことに味気ない。写真という対象自体には具わっていない、聴覚、嗅覚、味覚、触覚それぞれの領域での感覚イメージをつけ加えることで、ポルノグラフィーは官能の世界となる。精神療法において治療者はしばしば、こうした自他によってつけ加えられた感覚イメージと関わりをもつ。そのさい、治療者の幻想機能の豊かさが問われる。ちなみに、多くのヒトにおいて、性愛の世界にはまだ自然な行動パターンとしての五感の総動員が残っている。それゆえ、性愛の世界を五感イメージ・トレーニングの場と心得て活用すると、それが対人関係であることもあいまって、一挙数得であるかもしれない。ともあれ、あらゆる機会を捉えて、イメージ能力の原初のありようを再活性化するよう努めてほしい。
 五感イメージ・トレーニングがある程度進んできたら、つぎに、五感それぞれの領域に由来する形容詞や副詞や動詞などを、他の感覚領域で使うことを試みて欲しい。触覚由来の「冷たい」や「ザラザラした」を視覚印象や音の描写に使ってみるのである。そうした使い方は文章技術として普段に用いられている。また、多くの人は意識せずに、日常その種の言い回しをしている。それゆえ、いまさらしてみるのも馬鹿らしいと受け取る向きもあるかもしれない。せいぜい伝える技術の習練だと考える人もあろう。そのいずれも、誤りである。これは、五感イメージ・トレーニングの統合の方策なのである。種々の形容詞や副詞をその起源を考えて味わい、他の感覚領域へ転用していると、五感それぞれの領域に重なりが生じ、境界が不鮮明となり、その結果、感覚イメージのきめが濃やかになる。すなわち、そうした言葉の転用をつづけていると、五つの感覚領域の境界がぼやけ相互の融合が起こってくる。そして究極には、五感イメージの融合した一個の感覚統一体のようなものが外界を捉えるようになる。
 そこに至ると、五感で捉えられる事象それ事態ではなく、刻々と移りゆく事象を連ねる流れが感知されるようになる。俗に第六感と呼ばれるものがこれである。」
神田橋條治『精神療法面接のコツ』)