( ゚Д゚)<男のなかのオス

「私は宗教心の強いアメリカ婦人とおなじ屋根の下でくらした。彼女は三十代の女盛りであったが花模様の質素な服をまとい十九世紀ふうな髪を束髪に結い、口紅をぬった姿は一度も見せたことがなかった。私は彼女と頬と頬がふれるような近い距離で、事務的な打合せをしたり、教会の話をきいたりした。私は神聖と見える教会の宣伝のお話を耳にしながら、やはり僅かながらほんの僅かながら彼女が女であることを意識していた。そして彼女のいうままに宣伝にのって教会の会員の一人になり、彼女を喜ばせたいと思うこともしばしばだった。
 彼女はハイ・ヒールをはいていなかった。いつも女学生のはくような質素な靴をはいていた。さてある日、彼女は私のための教会の会合に出ることになった。黒いハイ・ヒールをはき、セーラー服のようなものを着て自分の部屋からあらわれた。子供は母親のその靴の中に自分の足をいれて歩いていたが、そして、これはオバサンの結婚式にママが買ってはいたものだといった。
 彼女は目がさめるように美しく見えたが、やはり口紅はぬっていなかった。そして颯爽と私をのせて車を教会まではこんで行った。そこで私は六十人の女達にスキヤキを作ってみせたあげく、「神はすべての人を愛す」と書いた日本式のかけ軸マガイの物がぶらさがった壁を背にして親睦会がひらかれ、私は彼女らの祝福をうけた。六十人の中でも彼女は美しさではきわだっていたが、唇をそめていないのは彼女一人であった。私はとうとう最後まで彼女からは、かすかに女の匂いをかぐことは出来たが、雌の匂いはかぎ出すことができなかった。私は彼女の家を出ることになったとき、今更のように感嘆した。彼女は異国の男性のトマドイを知っていたのだ。」
小島信夫『実感女性論』)