( ゚Д゚)<汝の敵と思って殺したのは汝

「ぼくはそのとき戦闘機に乗っていて、もうそろそろ引き返そうと思いながら、哨戒圏を飛行していた。あたりはまだ暗くなってしまったというのではないが、照準器の十字線がキラキラとみょうに明るく、行く手の空間に浮かんでいるように見える。ふと気がつくと、これもおそらく哨戒していたのだろうね、十字線のあたりに敵の機影が見え、見えたと想うとそれが零点の上で、みるみる大きくなって来るんだ。まるで、零点に向かって迫って来るようにね。恐ろしい賭だ。恐れのためか、恐れまいとするためか、それはわからない。そうだ、これはぼくの機体も敵の十字線の上の、零点にあるということだろう。そう思うと、ぼくには零点にあるその機体がぼくの機体のように思え、そこでぼくが照準器を見つめながら、じっとりと汗ばむ手で操縦桿を握りしめ、引き金のボタンを押そうとしているような気がしはじめた。突然、十字線の零点から曳光弾が発射され、それが光跡を曳きながら、ぼくの眉間に近づいて来るように思われた。が、零点にある機影は翼を傾け、気づいたときはもう振り返らねばならぬような遥か後ろにあった。それはもうぼくの機体でもなければ、そこにいるのはぼくでもない。火を噴きながら暗い現実へと墜落して行く敵の機体であり、敵だったのだ。おお、まさに幽明境がそれに属する領域としての死から、そのままで幽明境がそれに属せざる領域としての生に蘇ったのだ。
「とすると、きみはその瞬間、そのようにして死者の眼を持ったと言うのかね」
 それはわからない。ぼくはぼくに死をもたらそうとする敵を、まるでぼく自身のように思い、ぼく自身をぼくに死をもたらそうとするものの実現のように思ったのだが、ほんとにそのときそう思ったのかどうかわからない。ぼくたちはあとから想いだして、よくそんなときそんな気がしたように考えるが、実際はそれを想いだすことにおいて、そんな気がしたのだというようなことがよくあるから。」
(森敦「死者の眼」)