2008-11-01から1ヶ月間の記事一覧
「〈それでもぼくは、まったくけっこうな真実をやつにはきかけてやった。しっかり肝に銘じることだ! 嚥み下すのにきっと苦労することだろうよ! 何回でも噛みなおすがいい! それこそ最上の心霊修行というものだ。告解師ロレ神父の手当を受けるのに打ってつ…
「かくしてわれわれは二つの点を確認するに至った。つまり、ハイデガーは彼が自分で言うより以上に聖書の宇宙に近接しており、レヴィナスは自分でそう思っているより以上にハイデガーと近接しているのである。では、レヴィナスはハイデガーのテクストを「読…
「こう言ったからとて、カフカ自身がおしまいになったという意味ではない。逆に僕はこれまで紡ぎ続けてきた一連の考察をもとに、これからもカフカを考え続けて行くつもりだ。──君のシェップス宛の手紙に書かれている注目すべき発言には、僕にまだまださまざ…
「レヴィナスの仕事はおそらく、ヘブライ的宇宙に記載された数々の可能性へと現代の哲学的思考を目覚めさせるのにもっとも貢献した。とはいえ、レヴィナスの仕事にそれが可能だったのは、不屈の媒介者として、彼の仕事が「ギリシャ的叡知」との対話のための…
「御婦人方との交際で、頭脳を駄目にしないように気をつけたまえ。子宮のなかにきみの才能をおき忘れることになるよ。……男としての精力は、文体のためにとっておけ、インク壷にぶちかますのさ、生身の女にはのぼせぬことだ、よく頭のなかに叩きこんでおけ、…
「芸術家はおそらくはその天性から言って必然的に官能的な人間であり、総じて激しやすく、あらゆる意味において親しみやすく、刺戟に、ほんのちょっとした刺戟の暗示にも動かされやすい。それにもかかわらず、ならして芸術家は、その課題、その傑作への意志…
「女の友情。──女たちは立派に一人の男と友情を結ぶことができる。だがこれを立派に保つには──それには多分一寸した生理的反感が手伝わねばならぬ。」 (ニーチェ「女と子供」)
「マーラは、ぼくを見てびっくりした。すぐに家へつれて帰って介抱したいと言った。ぼくは消耗しきって、そばに人がいることにさえ耐えられなかった。急いで別れを告げた。 「明日会おう」 ぼくは酔っぱらいのようにふらふらしながら家へ帰るなり寝椅子にぶ…
「われわれが対象を感知しようとしているさいの体験を思い浮かべてみると、感覚と概念化の中間に、イメージ照合の過程があることが分かる。これこそ、感知機能の主要な部分である。このイメージ照合の機能を錬磨することにより「読みとる」能力を高めようと…
「俺の頭上を列車がごとごとと音をたてて、一輛一輛と駅に入っていった。俺の頭のなかで酒樽がぶつかりあった。どろっとした黒ビールが樽のなかでぴしゃぴしゃとかきまわされて泡だった。ぶつかって穴がいくつもぽっかり開いて、そこからどろっと大量にふき…
「田舎で感ずること。──生活の地平にいわば山脈や森林の線のような確乎として安定した線をもたないと、人間の最も内奥の意志そのものが都会人の本性のように落着きなく、散漫に、物欲しげになる、そういう人は何の幸福ももたないし、何の幸福も与えない。」 …
「幸福が未来のなかにあるように思われるときには、よく考えてみるがいい。それはつまり、あなたがすでに幸福をもっているということなのだ。期待をもつということ、これは幸福であるということである。」 (アラン「勝利」)
「ある男が、岩の下にかくされていると彼が信ずる財産を求めて出発する。次から次に無数の石をひっくり返してみるが何もみつからない。彼はこの企てに疲れるがあきらめることはできない。その財宝はあまりにも貴重だからだ。したがってその男は、ひっくり返…
「航空機事故について読んだことで非常に感銘を受けたのは、因果論を一時棚上げにしろということです。つまり事故が起こったとしたらその直後に起こったことをとにかく因果論なしで、ブレインストーミングみたいに数え上げろということです。普通起こらない…
「この名称の利点の一つは、狩猟と戦争の新しい区別の仕方を提案していることである。というのも、確かに戦争は狩猟から派生するわけではなく、また狩猟そのものも特に武器を発達させるわけではないからである。狩猟は、武器と道具が未分化で相互転換が可能…
「プロテウス〔ギリシャ神話の変容自在の海神〕的天性。──女たちは愛情から、自分の愛されている男たちの観念の中に生きているとおりのものになりきる。」 (ニーチェ「女と子供」)
「ことほどさように作家は妄想の解消と愛の欲求の突発とを相互に密接に結びつけ、用意周到にも、必然的に愛の告白に突破口を探らせる。作家は妄想の本質を彼の批判者以上に知悉している。熱烈な恋愛という要因が、妄想成立への抵抗という要因とつかず離れず…
「私は妹を殺さなくてはならない。さもなければ彼女は死ななくてはならない。これは、命じられた日時をまえにして避けられない強制、良心的な責務とも言えるものだ。しかも彼女の了解のもとで殺すこと。供犠のさいの悲愴な聖体拝領のごとく。……どうして夢の…
「アムノンは床について病人のふりをした。王が見舞いにきたのでアムノンは言った、「妹のタマルをよこして、揚げ菓子を二つ作るように言ってください。私はあの子の手からそれを食べたいのです」。ダビドは家にいたタマルに人をやって「兄のアムノンの家に…
「それ以来、私たちは一度も逢っていない。いや、私たちは同じ区街で働いていたので、街頭ですれちがうことがときどきあった。彼女はいつものように足もとに眼をおとして、静かな流れに運ばれるようにやって来て、私の胸もとに向かってそっと会釈する。夕風…
「ドゥベーチニャに行くため、朝早く、日の出とともに起きた。バリシャーヤ・ドヴォリャンスカヤ〔貴族大路という意味〕には人影もなく、みながまだ寝しずまっていて、わたしの足音だけが、淋しくうつろにひびき渡った。しっとりと露にぬれたポプラが、やわ…
「夜は人が本質に迫り迫られて生きる時間だ。雄々しいものが夜起きて、対峙することが出来る。光りの中に黒を見ることになれているものでなければ、この黒に耐えることは出来ないらしい。」 (小島信夫「消去の論理」)
「私は光を追い求めていると思っていました。でも本当は暗闇が怖かったからにすぎなかったのです。」 (クラウス・コンラート『分裂病のはじまり』)
「自慰行為の唯一の積極的な効果といえば、なかには、それによって一種の知的エネルギーを放出できる人がいるらしいことである。しかし、この知的エネルギーの発現は、変り栄えのしないこと甚しく、いつもきまって分析と無力な批判、もしくは虚偽で安易な共…
「ここで、抑えがたい衝動に駆られて、ぼくは一つの無償の忠言を読者に献げる。こういうことだ──できるだけ多くではなく、できるだけ少なく読みたまえ! いや、読者よ、ぼくが書物の海に溺れている連中をうらやんでいるなどと疑わないでください。ぼくといえ…
「忘却は、永遠に生成しつづけることと、あらゆる同一性が存在のなかに吸収されることを包含している。 ニーチェによって生きられた体験においては、啓示された内容と、次のように言語化されたその内容(倫理的教説としての)とのあいだに、秘められた二律背…
「その誰かに対して(のみ)私は「きみは人を殺しても(何をしても)よいはずだ」と呼びかけることができる。他者に向かって、自己評価がすべてであると説教することもできる。そのとき私が「きみは人を殺しても(何をしても)よいが、人に殺されてはならな…
「この手紙を終るにあたって、これを書いた力を自分ながら驚いています。苦痛のために死ぬということがあるなら、私はこの一行一行によって死んだかも知れません。ここに起っていることの中では、何もかも一様に折り合いがつきません。あなたのような行動は…
「書物の生命は、それを左右することができると信じ込んでいる主体と同一ではない。貸した本がなくなったり、借りた本がいつまでもあったりするのは、このことを根源的に証明している。だが書物の生命は、所有者がそれを内面化しようとすることにも逆らう。…
「「いえ、奥さん、十六歳にはなかった不信があること、これはきっと第二の恋に別の色彩を与えずにはおきますまい。最初の青春においては、恋は大河のようなもので、あらゆるものを押し流します。抗うことはできないような気がするものです。ところで優しい…