( ゚Д゚)<忘れられたソドム

「ドゥベーチニャに行くため、朝早く、日の出とともに起きた。バリシャーヤ・ドヴォリャンスカヤ〔貴族大路という意味〕には人影もなく、みながまだ寝しずまっていて、わたしの足音だけが、淋しくうつろにひびき渡った。しっとりと露にぬれたポプラが、やわらかい香りを大気に充たしていた。もの悲しく、町を離れたくなかった。わたしはふるさとのこの町を愛していた。実に美しい、あたたかな町に思われたのだ! この緑を、静かな明るい朝を、町の鐘の音を、わたしは愛していた。しかし、この町でともに暮らしている人々は、わたしには退屈で、よそよそしく、時にはうとましくさえあった。わたしは彼らを愛していなかったし、理解もしていなかった。
 それら六万五千の人々が、いったい何のために生活し、何によって生活しているのか、わたしにはわからなかった。キムルイが長靴の生産で生活費をまかない、トゥーラがサモワールと銃器を生産し、オデッサが港町であることはわたしも承知していたが、われわれの町がいったい何であり、何を生産しているのかは、わからなかった。バリシャーヤ・ドヴォリャンスカヤと、あと二つの通りは、これまでに築きあげた資産や、官吏が国庫からもらう俸給で、比較的ましな生活をしていたが、およそ三キロにわたって平行に伸び、丘のかなたに消え去っている、他の八本の通りは、いったい何によって生活しているのだろうか──これがわたしには常に理解も及ばぬ謎だった。しかも、ここの人たちの生活ぶりときたら、口にするのも恥ずかしいほどだ! 公園も、劇場も、満足なオーケストラもなく、市立図書館やクラブの図書室を訪ねるのは、ユダヤ人の子弟だけなので、雑誌や新刊書は何ヵ月もページを切られぬまま放っておかれる始末だ。金持ちやインテリたちでも、息苦しく手狭な寝室で、南京虫だらけの木造ベッドにやすみ、子供たちは、子供部屋とは名ばかりの、胸のわるくなるほど不潔な部屋につめこまれ、召使いとなると、年寄りや、かなり年輩の者たちでさえ、台所の床にボロにくるまって寝るのだった。普通の日には家々でボルシチの匂いをただよわせ、精進日にはヒマワリ油で揚げたチョウザメの匂いがした。食いものはまずく、飲み水は不衛生だった。市会や、県知事のところや、僧正のところをはじめ、いたるところ、どこの家でも、この町には安価ないい水がない、水道敷設資金に国庫から二十万ルーブリほど借り入れなければなるまい、と永年にわたって話しているのだ。時には領地をそっくりカードの勝負でスッてしまうような大金持ちも、この町には三十人ほど数え得るのだが、この連中も不衛生な水をのみ、一生借入金の話に熱中している──わたしにはこれがわからないのだ。二十万くらいのそんな金など、思いきりよく自分のポケットから出した方が、手取り早いような気がするのである。
 町全体を見まわしても、わたしは正直な人間になどついぞお目にかかったことがない。わたしの父は、賄賂をとり、自分の品性に対する敬意から贈ってくれるのだと思いこんでいた。中学生は進級するために教師のところに下宿し、教師は彼らから多額の金をとった。軍管区司令官の細君は、徴兵の時に新兵たちから賄賂をとる上に、饗応までさせ、一度なぞ、女だてらに酔っ払ったため、教会でどうにも立ちあがれないことがあった。徴兵の時には医者も賄賂をとるし、市の医者や獣医は肉屋や飲み屋に税金をかけた。郡立の学校では第三種の兵役免除資格を与える証明書が売買されていた。教区の監督僧は目下の僧全員や教会の世話役から附けとどけをとる。市役所であれ、市民局であれ、衛生局であれ、およそ役所と名のつくところならどこでも、請願者のひとりひとりに背後から、『お礼を言うもんですよ!』と呼びかけるので、請願者は三十カペイカか四十カペイカつかませるために、引き返すのだった。一方、賄賂をとらぬ連中、たとえば裁判所関係の役人たちは横柄で、握手をするにも指を二本しか出さず、冷淡と見解の狭さとが特色で、のべつカードをたたかわせ、大酒をのみ、金持ちの娘と結婚し、疑いもなく周囲に有害な、堕落的な影響を与えていた。わずかに娘たちだけが、道徳的に無垢な息吹きをただよわせていた。彼女たちの大部分が、向上心と、清らかな誠実な魂の持主だった。しかし、彼女たちは人生を理解していないので、賄賂というのは品性に対する尊敬からなされるものと信じており、結婚するや、すぐに老いこみ、堕落して、低級な俗物的生活の泥沼に、救いがたいほど沈みこんで行くのだった。」
チェーホフ「わが人生」)