( ゚Д゚)<挫折による検証

「ある男が、岩の下にかくされていると彼が信ずる財産を求めて出発する。次から次に無数の石をひっくり返してみるが何もみつからない。彼はこの企てに疲れるがあきらめることはできない。その財宝はあまりにも貴重だからだ。したがってその男は、ひっくり返すには重すぎる岩をさがしはじめる。その岩に一切の期待をかけようとする。残った力をことごとく費やそうとするのはその岩にたいしてだ。
 マゾヒスト──なぜなら、われわれがたった今定義したのはそれなのだから──とは、まず最初は疲れた主人にほかならない。それは、絶えざる成功、言いかえれば絶えざる失望から、自分自身の挫折をねがわざるを得ないように仕向けられた男のことだ。そうした挫折のみが彼に、正統な神性、彼自身の企てによっても傷つけられることのない媒体を、啓示し得るのだ。形而上学的欲望は、われわれが知っているように、いつも奴隷的境遇に、挫折に、恥辱に、人を導く。」
(ルネ・ジラール『ロマンティークの虚偽とロマネスクの真実』)