( ゚Д゚)<meta-machismo

「私がなぜ女性が目を閉じるか、ということについてくどくどと述べたのは、つまりこのことをいいたいからなのだ。
「君は今なにを考えているんだ」
「ねえ、それは、いいこと。とてもいいことよ」
 と女性はこう答える。それは女性が具体的なものを通して秘密のイメージを作り、それに酔っているときである。彼女のイメージはいつもすばらしい。このすばらしいという言葉そのものが、ひどく女性的なのである。男どうしでは、男は、この言葉をあまりつかわない。しかし女性の前では、私は意識して、このアイマイで、抽象的な言葉をつかう。そして大へん無事な言葉である。だが同時に私は男として、自分を売ったようなにがい気持にならざるを得ない。
 私はここに二つの型の男性を知っている。バーへ行くと、すぐに女の胸へ手を入れて見たり、髪に手を入れたり、髪の型をくずしたり、とつぜん裾をまくったりする男である。もう一つは、そういう男を、「きみそんなことをすると、女はいやがるものだよ」とにがにがしい顔をするタイプである。別に自慢しているのではないが、私はいうまでもなくこの後者の方に属している。私はいくら前者のようになれといわれても、苦しくて出来ないし、もしそうせよとむりじいさせられるなら、拷問にかかった方がましだと思っている。というのは、何も私が経験によって女性がいやがることを知って、以後心をあらためたというのではない。はじめから私にはできないのである。だからほんとうのことをいうと、私は積極的ににがにがしい顔をするというより、呆然としているといった方がいい。そしてことによったら、私のように膝がふれてもとびのくようなこともある自分のような態度では、かえって女性にきらわれるのではないか、女性も喜ばないのではないか、という危惧がないとはえない。
 にもかかわらず、私は女性はいやがるものだ、と信じている。女性のイメージをこわすものと、私は思っているからだ。」
小島信夫『実感女性論』)