( ゚Д゚)<魂は無傷

「この質問に答えるのに二十年を要してしまったが、今やっとその答えの用意ができた。ベイヨン市の無名氏よ、もしまだあのときの答えが知りたければお教えしよう……。ぼくはきみに大きなおかげをこうむっている。なぜなら、あの嘘をついてきみの家を出たあと、ぼくはブリタニカ社から持たされてきたちらしを引きちぎり、どぶに捨ててしまったのだ。そして、今後はたとえ聖書の頒布であろうが、二度といつわりの口実で人に近づくことはすまい、と心に誓った。たとえ飢え死しようと、もう二度と人に物を売りつけるようなことはやるまい。すぐにも家へ帰り、机の前にすわって、さまざまな人間像について真剣に書きはじめるのだ。そして、もしだれかがぼくに何かを売りつけようと玄関に現れたなら、中へ招じ入れ、「なぜそんなことをしているんだね?」と訊いてやろう。もし相手が、生活のためだと答えたなら、あり金を残らずそいつにくれてやり、自分のやっていることをよく考えてみてくれ、ともう一度念を押してやろう。ぼくはできるだけ多くの人間に、食い扶持を稼ぐためにこれをしなければならない、あれをしなければならない、といったふりをすることをやめさせてやりたい。ソンナ言イワケハウソダカラダ。人間は餓死することもできるのだ──そのほうがどんなにかましだ。自分からすすんで飢え死の道をえらぶ人間は、自動機械工程の歯車の一つをこわしたことになる。食い扶持を稼せがねばならないというふりを装い、自動機械に身をゆだねてゆくよりは、パンを得るため銃を取り、隣人を殺す奴のほうがぼくは好きだ。無名氏よ、ぼくの言いたかったのはそういうことなのだ。」
ヘンリー・ミラー『南回帰線』)