( ゚Д゚)<Kick Out The Onanism

「秘密性なしには好色性は存在せぬであろう。ところで、好色性がこそこそ人眼を憚る秘密性の結果だとすれば、好色性の結果はなんであろうか? それはいかなる影響を個人に及ぼしているのか?
 その個人への影響は千差万別であるが、有害であることはつねに変わらない。ただ、一つの影響だけは、どの場合にも不可避であろう。今日の好色品は、衛生器具店の好色品だろうと、俗受けしている小説や映画や芝居の好色作品だろうと、すべて、自涜、オナニズム、自慰──なんと呼ぼうと勝手だが──とにかくこの自涜行為の悪癖をきまって刺戟するのである。老若男女、少年少女の別を問わず、現代の好色作品は自慰行為の直接的刺戟となっている。そうならざるをえない現状なのである。例の沈鬱な連中が、例の若き男女の性的交渉を嘆き悲しむとき、かれらは、この二人が離ればなれになって自慰行為をしなかったという事実を慨嘆しているのにほかならぬ。性とはどこかに行きつかねばならぬ──ことに若いものにとってそうだ。そこで、わが栄えある文明社会においては、性は自慰行為に行きつくのである。そして、現代の俗流文学の大半、俗流娯楽の大部分は、ただ自慰行為を挑発し、刺戟するためにのみ存在しているのだ。自慰行為とは人間が行う唯一の徹底的な秘密行為であり、それは排泄作用よりも秘密なのである。自慰行為こそ性的秘密性の唯一の自働的結果であり、なにが起こりつつあるかを知らしめることなく穢れた秘密を撫でこするわが栄誉ある俗流文学、すなわち美しき好色文学によって刺戟され、挑戦される行為なのである。」
D.H.ロレンス「好色文学と猥褻」)