( ゚Д゚)<本当に人生はうまくゆかない

「天幕馬車を二台と、それから男女の百姓の一隊を追い越す。これは移住民だ。
「どこの県から来たね?」
「クールスクでさ。」
 一人だけ風体の違った男が、仲間に遅れてよたよたと蹤いて行く、顎をきれいに剃り上げ口髭はもう白く、百姓外套の背中には何やら得体の知れないだん袋が附いている。風呂敷にくるんだ胡弓を二丁、両腋に抱えている。一体何者なのか、この胡弓はどうしたものかは、訊かないまでも自然とわかる。やくざで怠け者で病身で、人一倍の寒がりで、酒好きで、そのうえ小心者のこの男は、親父の代から兄貴の代までずっと余計者扱いにされながら、のらくらと生き存えて来たのだ。親父の財産も分けては貰えず、嫁も取っては貰えずに。……そんな事はしてやるまでもない男なので、野良へ出れば風邪をひくし、酒にかけては目がないし、碌なことは言い触らさないし、取柄といったら胡弓を弾くことと、子供たちを集めて暖炉の上でわいわい騒ぐ位なものだ。その代わり胡弓と来たら居酒屋でも、婚礼の席でも野原でも、所きらわず弾き歩いたが、それが中々見事な音色だった。だが今その兄貴が、家も牛も有ったけの家財道具も手放して、一家を引き連れ遠いシベリヤを指して行く。やくざ者も一緒について行くのは、ほかに食う当てもないからだ。二丁の胡弓も後生大事に抱えて行く。……やがて目指す土地に着けばシベリヤの寒さに一堪りもなくやられる。肺病になって、誰一人気づかぬほどそっと静かに死んで行く。その昔郷里の村の人々の心を、浮き立たせたり沈ませたりした胡弓の方は、二束三文に売り飛ばされて、渡り者の書記か、それとも流刑囚かの手に渡る。それから渡り者の子供たちが、絃を切ったり柱を折ったり、胴に水を入れたりして遊ぶ。……引き返した方がよさそうだ、小父さん。」
チェーホフ「シベリヤの旅」)