( ゚Д゚)<嘘が止まらねェ

「昔の、もう過ぎ去った自分にいわれるこういう讃辞を、夫人はうっとりとして聞いていた。フレデリックは自分で自分の言葉に酔い、いっていることを信じこむのであった。アルヌー夫人は、灯りに背をむけて彼のほうにからだを寄せていた。彼は額に彼女の息の愛撫を感じ、着物をとおして、彼女のからだじゅうがふわりと触れてくる心地がした。手と手はかたく握りあった。女靴のさきが動いてちょっと着物の裾からあらわれた。フレデリックは、気が遠くなりそうになって、いった。
「あなたのその足を見るとたまらなくなるんです」
 はじらって、彼女は立ち上がった。そして、じっとしたまま、夢遊病者のような、うつつ心のない言葉つきで、
「このあたしの歳で! あのひと! フレデリックさん……あたしほど愛してもらった女はないのだわ。そうよ、若いといっても何になるの? そんなことどうでもいいの。みんな、あたし軽蔑してやれる! ここへくる女のひとなんか」
「ここへくる女などめったにありませんとも」彼は喜ばそうと思っていう。
 彼女の顔は晴れやかになった。そして、結婚する気はないのかときく。
 彼はしないときっぱりいった。
「ほんと? どうして?」
「あなたのためですよ」フレデリックは彼女を抱きしめながらいった。
 彼女は少しからだをそらし、口をなかば開き、眼を上げたまま、じっとそのままになっていた。が、急に思い切ったように、彼をおしのけた。フレデリックが返事をするようにうながすと、頭をうなだれていった。
「あたし、あなたを幸福にしてあげたかった」
 フレデリックはアルヌー夫人が身をまかせるつもりできたのではないかと思った。と、今までにないほどはげしい、狂暴な情欲に駆られるのだった。しかしまた、何かしら口でいえないもの、一種の反撥、近親相姦の恐れといったものを感じた。なおも一つの心配、後になって嫌悪をおぼえはしないかという危惧が、彼をひきとめた。それに間の悪さ! で、理想をそこないたくない気持と慎しみから、彼はくびすをかえして、たばこを巻きはじめた。彼女はおどろいたように、じっと彼を見つめていた。
「なんと、やさしい気遣いのできる方! あなただけだわ、ほんとにあなただけ……」
 十一時が鳴った。
「あらもう!」彼女はそういった。「十五分になったらあたし帰るわ」
 彼女はすわり直した。が、置時計を見つめていた。彼はたばこをすいながら歩きつづけていた。二人とももういう言葉がなかった。別れのときには、ほんとうに愛されているひとすらもうすでにわれわれから離れてしまっているという瞬間があるものだ。」
フロベール感情教育』)