( ゚Д゚)<相対性妊娠理論

「     もし、君が私に答えてくれさえすれば、私の応答よ、私の応答だけ応答〔responsa イタリア語で「花嫁」「新婦」〕よ、私の約束された女性よ、君よ、それは君なのだ。しかしそのためには、言葉で一度だけ応答するのでは十分ではない、そうではなくて、常に新たに、留保なく、あらゆるところで、私たちに付いてくる必要がある。私が君をどれほど愛しているか君が知っていたなら、私の愛する人よ、君はそうしていただろう、君はもうそれに逆らえなかっただろう。私の愛する人よ、君は誰なのか? 君はあまりにも多数で、あまりにも分有=共有されていて、車室のように完全に仕切られ区分されている、たとえ君が完全に現前してここにいたとしても、たとえ私が君に話しかけているとしても。君の不吉な「決断」が私たちを二つに分割した、私たちの栄光の身体は分割された、それは再び普通のものとなり、それ自身と対立することを選んだ、そして私たちは転落した、私たちは両側に転落するがままになった。私たちのかつての身体、最初の身体が怪物的であることは分かっていたが、それ以上に美しい身体を私は知らなかった、私はまだそれを待望している。
      君は時間と戯れることを知らないでいる。そして私は電車のなかであらゆる尺度〔拍子〕を取り戻す。電車のなかでのメートルは、駅のホームのそれと完全に同じという訳ではない。私たちは電車のなかで暮らすべきだったのだろう、私たちがそうしてきたより遥かに速いスピードで、ということだけれども。しばしば私はあの妊娠した女性の例を思う、これこれの速度で宇宙を旅行していて、お腹の子どもが九ヵ月を迎え、戻ってきて地球上で子どもを出産する、すると全員、二十年分、年を取っていて、あらゆる状況が変わっている。私は、私たちが愛しあった宇宙の「ブラックホール」を思う、君に送るにいたらなかったすべての手紙、私たちが一緒に夢見た往復書簡を思う、自分がどこに行くのかもう分からないと思う、これらあらゆる運命=くじのいたずらを、君を思う
      君がここにいたら、どこかへ連れて行って、すぐにふたりで子どもをつくる、それから車室に戻って、何事もなかったかのように席に着く。」
ジャック・デリダ「送る言葉」)