( ゚Д゚)<瞬間と証明

「「写真」の明白さは過度であり、誇張されている。「写真」はいわば、そこに写っているものの姿を誇張するのではなく(事実はその反対である)、その存在そのものを誇張するのである。現象学者の言うところによれば、イメージとは対象の虚無である。ところで、私が「写真」において措定するのは、単に対象の不在だけではない。それと同時に、それと並んで、その対象が確かに存在したということ、その対象が写真に写っているその場所にあったということをも措定する。ここにこそ狂気があるのだ。というのも、今日まで、他のいかなる表象=再現物も、何らかの仲介物によらないかぎり、事物の過去を私に保証することはできなかったのだが、しかし「写真」の場合、私の確信は無媒介的(直接的)であり、この世の誰もその確信を私に捨てさせることはできないからである。そこで「写真」は私にとって、ある奇妙な媒体となり、新しい形の幻覚となる。それは知覚のレベルでは虚偽であるが、時間のレベルでは真実である。「写真」はいわば、穏やかな、つつましい、分裂した幻覚である(一方においては、《それはそこにない》が、しかし他方においては、《それは確かにそこにあった》)。「写真」は現実を擦り写しにした狂気の映像なのである。」
ロラン・バルト『明るい部屋』)