( ゚Д゚)<死んでいるものは生きている

「兇行の現場臨検の際の写真を、滝子の刺傷を明らかにするため引き伸ばしたものらしく、私は彼女の胸の大写しを見せてもらったことがあるが、写真機のせいか、光線のせいか、奇怪な出来上り工合だったので、変になまなましかったのを覚えている。例えば、髪の毛は一筋ずつ数えられるほどはっきり写っているのに、広い胸は乳房のふくらみも分らぬぼうっと白い平面で、そのくせ脇の下の皺が見えた。眉と鼻の穴とが鮮やかで、閉じた目とこころもち開いた脣とは夢のようにぼやけていた。その顔の線は正しい横顔だった。胸は仰向けに拡がって、肉づきのいい肩は短く太い首に直角に近い豊かさではびこり、乳嘴も乳暈も娘としては大きく熟し過ぎていた。首を思いきりのけ反って、髪は解けてはいないが、耳のうしろから衿首まですっかり生際が見えるほど振りみだして、ぐしょ濡れのように感じられた。傷を見せるためだろう、血はきれいに拭き取ってあった。薄墨の乳暈の下に、えぐれた深さを思わせる黒で、傷口が写っていた。
 私が顔をしかめて横向いたのはこの傷痕のせいだったけれども、それはただの偽善に過ぎなくて、まことは彼女のあらわな生命への驚嘆をごまかしたのであろうと、今は思う。恐怖や苦痛の陰もなく放恣に体をあけひろげて歓喜の極みのように見えた。」
川端康成「散りぬるを」)