( ゚Д゚)<ディオニュソス再定義・2

ディオニュソスは、テーバイの王カドモスが四人娘の一人、死すべき人間の女なるセメレーの息子である。彼の母親は彼を産む前に、彼の父なるゼウスの雷火に撃たれて焼け死んだが、父親は彼をこの炎火から涼しい常春藤の蔓で護った。かく神によって死すべき人間の女との間にもうけられたことによって、ディオニュソスは両者の有を証しするのであり、根源的に固有な統一における両者の有なのである。ディオニュソスは半神たちのひとりであるにとどまらず、格別なる半神なのである。彼は生殖の衝動において尽きることなき、最も荒々しい生の肯定であり、同時にまた破壊という最も恐ろしい死の否定なのだ。彼は魅惑的恍惚の至福であり、錯乱せる恐怖の戦慄である。彼は一方であることによって他方である。すなわち彼は有ることによって同時に有らないのであり、有らないことによって有る者なのだ。有とはギリシア人にとっては「現前性」である。この半神は現前しつつ不在であり、不在でありつつ現前している。現前しながら不在し、不在しながら現前するものの比喩は仮面である。仮面はディオニュソスのすぐれた象徴、すなわち形而上学的-ギリシア的に解するなら、有と非有(現前性と不在性)相互の根源的関連性の象徴なのである。」
マルティン・ハイデッガーヘルダーリンの讃歌』)