( ゚Д゚)<グノーシス永遠入門

グノーシス思想に固有な構造をなしている恒久的、根源的特徴の一つは、実際のところ、グノーシス思想が世界あるいは創造と神を対立させていることを内容としているところにある。感覚的宇宙はすべて、悪しきものとして感じられ判断されている。したがって神は、世界のうちにある悪にたいしてのみならず、悪であるこの世にたいしても責任があるとみなされえないであろう。神は世界にたいして絶対的に超越している。神は世界とどんなかかわりもない。なぜなら、すべてのかかわりはかれをおとしめ、かれを隷属状態におき、かれを下位の者とし、その不変の純粋さを汚すであろうから。かれはもはや、このことばの最高の意味において神でなくなってしまうだろうから。神は世界を生み出さなかった。世界を支配していない。神は世界から知られていない。世界を介しては、世界のなかでは知られない。世界はかれの業ではない。かれの支配の対象ではない。かれが世界に介入するのは、世界から救うため、世界の外へ超脱するためであって、何であれ世界によって成就するためではない。この超越的神──キリスト教反駁者によってエピクロスの「無為なる神」と比較された──は、こうして、世界の歴史同様、世界にたいして異質なものである。かれは、グノーシスの用語そのものを用いるならば、「異邦人なる神」、「他者」、ラディカルに「他者」なるもの、「〈知られざる〉、〈言い表わされざる〉、〈隠れた〉、本質的に知られざる、すなわち自然によってではなく、自然のかなたで啓示によって知られる神」である。事物の日々の推移や人間の通常の認識とは比べものにならない神である。そこから、「奇妙な」神である。神が顕現するときには、まったく「新しい」ものである。この神の下に、あるいはかれと対立して、曖昧な二元論あるいは絶対的二元論とのかかわりで言えば、すべての場合においてかれとは区別されたもうひとつの神が存在する。下位の本質的に呪われた神、世界の創造者かつ支配者、弱いデミウルゴス、無知ではないけれども制約されたデミウルゴス、あるいは〈悪魔〉そのもの、……物質的宇宙と肉体的人間を生み出した原始の過失が付きまとっている者、そのような業によって、またかれが出来事の歩みや、その哀れな被造物に強いている法則の抗えない力によって、その不完全性、その悪意のなかで知られた──知られすぎた!──神が存在する。したがって、二つの神が存在するのである。そしてかれらの行為は敵対関係にある。〈救い〉と〈恵み〉の神。〈創造〉と〈自然〉あるいは〈物質〉の神。一方は時間内存在から解放し、他方はそれを課し支配する。宇宙は二つの異質な敵対した領域に分れている。すなわち見えざる霊的なものと、可視的で物質的なもの。」
(H.=Ch.ピュエシュ「グノーシスと時間」)