( ゚Д゚)<参上!コタール医師

「充血はとうにひいたというのに、息苦しさはしつこくつづき、もう説明がつかなくなったので、両親はコタール教授に往診に来てもらった。このような症状のときに呼ばれる医者は、ただ知識があるというだけでは充分でない。三つか四つの異なった病気に当てはまる徴候を前にして、外見上はほぼ似たようなものであるにしても、まずそのなかのこの病気だろうということを決定するのは、結局のところ医者の嗅覚であり、眼力である。この不思議な才能があるからといって、知性のほかの分野ですぐれていることにはならず、おそろしく卑俗な人物で、最低の絵画、最低の音楽を好み、およそ精神的好奇心を持ちあわせぬ者でも、この才能を完全に保持していることがありうるのである。私の場合、形にあらわれて観察できる症状は、神経性の痙攣でも惹き起こされうるし、結核の初期でも、喘息でも、腎機能不全を伴う中毒性呼吸困難でも、慢性気管支炎でも、またこういった要因のいくつかがはいりこんだ複雑な状態でも、起こりうるものであった。……だがコタールの躊躇した時間はわずかだったし、彼の処方は断固としたものだった。「強力な峻下剤、いく日かのあいだは牛乳、ただ牛乳だけ。肉はだめ、アルコールもだめ」母はぶつぶつと、それでもこの子は力をつける必要があるとか、かなりもう神経がやられているとか、そんなはげしい下剤とそんな食事ではもうおしまいだ、などとつぶやいた。私には、まるで汽車に乗りおくれるのを心配しているように不安そうなコタールの目つきから、彼が、うっかり生来のやさしい気持に流されてしまいはしなかったかと自問しているのが分った。ちゃんと冷ややかな仮面をつけるのを忘れなかったろうか、それを彼は懸命に思い出そうとしていた。ちょうどネクタイを締め忘れなかったかどうかを見るために、人が鏡を探すように。あやふやな気持で、だが当てずっぽうに埋めあわせをしようとして、彼はぶっきらぼうに答えた。「私は処方を二度繰り返す習慣がありませんのでね。ペンを貸してください。なによりもまず、牛乳ですぞ。そのうちに発作や不眠症をなんとかできたら、少しポタージュを摂ってもいいでしょう。それからビュレです。だがいつもかならず牛乳入り、牛乳入り〔au lait オー・レ〕。これはお気に召すでしょうな。なんと言ってもスペインは今や大流行だから。オーレ、オーレ〔スペインの闘牛場でのかけ声〕、というわけだ(彼は病院で心臓病や肝臓病の患者に牛乳による食餌療法を命じるとき、毎回きまってこの駄洒落を言うので、弟子たちはこれをよく知っていた)。それから少しずつ普通の生活にお戻りなさい。けれども咳と息切れの発作がぶり返したら、いつもかならず下剤をかけて、お腹のなかを掃除して、安静、そして牛乳です」母の最後の反対を、彼は返事もせずに冷然と聞き流した。そしてこうした食餌療法の理由すらあえて説明せずに帰っていったので、両親は、私の症状と無関係な、無用に身体を衰弱させるものと判断して、これを私に試みさせなかった。……ところが私の病状が悪化したので、家の者は私をコタールの処方にそっくりそのまま従わせることにした。すると三日後にはもう咽喉のぜいぜいいう音も咳もなくなって、呼吸はずっと楽になった。そこでわれわれははじめて理解したのである、後にコタールが言ったように、たしかに彼は私が相当重症の喘息で、とくに「頭もおかしくなっている」ことは分かっていたが、しかしそのときの症状のなかで一番ひどかったのは中毒であり、だから肝臓をきれいにして腎臓を洗えば気管支の充血をひかせることができるし、呼吸と睡眠と体力とを取りもどせると、見抜いていたのだった。またわれわれは理解した、このとんまな男は偉大な臨床医だったのである。」
プルースト失われた時を求めて 第二篇 花咲く乙女たちのかげに』)