( ゚Д゚)<ひとりレジスタンス

「闘いとなると話は別だ。私だって私なりに戦闘的なのだ。攻撃することは私の本能に属する。敵でありうること、敵であること──これはおそらく一つの強い天性を前提としているのであろう。とにかくこれはすべての強い天性につきものだ。強い天性は抵抗を必要とする、したがって抵抗を求めるのである。……──攻撃する者の強さを量る唯一の尺度は、彼がどの程度の敵対者を必要とするかということである。ひとりの人間が成長して行っているかどうかは、彼がより強力な敵対者を──あるいは問題を求めているかどうかを見てみればわかる。いま、あるいは問題を、という言い方をしたが、戦闘的な哲学者たるものは人間ならぬ問題に対しても決闘を挑むものだからである。その場合の課題は、なんでもかんでも抵抗に打ち勝つということではなく、自分の全力倆、全技能、全武術を投入せねばならないような相手に──つまり自分と対等の敵対者に打ち勝つということである……敵と対等であるということ──これがまともな決闘というものの第一の前提である。軽蔑している場合には戦うことはできないし、何かに命令し、何かを見下している場合には戦ってはいけないからである。──私の兵法は次の四箇条に要約できる。第一、私は勝ち誇っているようなもののみを攻撃する──事情によっては、それが勝ち誇るようになるまで待つ。第二、私に味方が見つかりそうにもないような、自分ひとりで立ち向かうような──自分ひとりだけを危険にさらすような、そんなものだけを私は攻撃する……私自身を危険にさらさないようなそんな攻撃を私は一度だって公にしかけたことはない。これが私の正しい行動の基準である。第三、私は決して誰かれの個人を攻撃しない──ただ私は個人を強力な拡大鏡として利用するだけだ。危機状態というものは広く行きわたっていてもこっそりしのび歩くのでなかなかつかまらない。ところが個人という拡大鏡を使うとこれがよく見えて来るのである。……第四、私は個人差のはいりこむ余地のないものだけを、いやな経験というような個人的な因縁などの全くないものだけを攻撃する。それどころか、攻撃するということは私の場合には好意の証しの一つであり、事情によっては感謝のしるしの一つでさえある。」
ニーチェ「なぜ私はこんなに賢明なのか」)