( ゚Д゚)<最大の味方=最大の仇敵・3

「よほどしっかりと自己の上に腰をすえ、自分の二本の脚で勇敢に立たないことには、愛することもできはしない。要するにこんなことは女どもにはわかりすぎるぐらいよくわかっているのだ。女というものは、自分を失ってただ客観的であるだけになってしまったような男どもには鼻もひっかけないのだ……ここでついでに、私は女どものなんたるかを識っているという推測をあえてしてもよいだろうか? この見識は私がディオニュソスからもらい受けた持参金の一つだ。誰が知ろう? 私は永遠に女性的なるものの心理の機微を知るおそらくは最初の心理学者なのだ。……──さいわい私は八つ裂きにされたいという気はない。完全な女というものは愛する男を八つ裂きにするものだが……この愛らしい狂乱巫女たちのことなら私はよく識っている……ああ、なんという危険な、忍び歩く、地下に住む、小さな猛獣! ……それでいてなんとも愛らしい! ……ひとりの小さな女でも、ひとたび復讐心に燃えると、運命にさえぶつかって行ってひっくりかえすことさえしかねない。──女は男よりもずっとずっと意地が悪く、また利口である。女でありながら善意を備えているなどというのは、すでにその女が女として退化していることの一つの現われだ……いわゆる「美わしき魂」などというものの根底には常に一種の生理的欠陥がある──ここから先はもう言うまい。これ以上洗いざらい言ってしまうと、医学的でなくて半-犬儒的になってしまいそうだから。男女同権のための戦いなどというものは病気の一兆候だとさえいえる。これは医者なら誰でも知っていることだ。──それもそのはず、女というものは、女らしい女であればあるほど、そもそも権利などというものに手足をばたつかせて極力抵抗するものなのだから。男女両性間の永遠の戦いというこの自然状態はいつも女の側をはるかに優位においているのだから。──私がかつてなした愛の定義に耳をかす人がいただろうか? あれは哲学者たるにふさわしい唯一の愛の定義なのだが。いわく、愛とは──その手段において戦いであり、その根底においては男女両性の不倶戴天の憎悪。」
ニーチェ「なぜ私はこんなに良い本を書くのか」)