( ゚Д゚)<失われた時を求め過ぎて

「回顧。──われわれは、生涯の各時期に固有のパトス(Pathos)を、その時期に身をおいているかぎりは、それとして意識することは滅多にない。むしろわれわれは、いつも、それがわれわれにとって今後も可能な唯一の理性的状態であり、ギリシア人の言葉を借りて区別すれば──それはあくまでエトス(Ethos)であってパトスではない、と考える。音楽の二三の調べが、今日私に、或る冬、とある家、ひどく隠者風な生活などを、同時に私がその当時味わい浸っていた感情をも、想いおこさせた、──永久にそんな風にして生きてゆけるように私には思われた。けれど、いまや私は、それが全くパトスであり情熱であったことを、この悲壮な慰め安らげる音楽にも比すべきものであったことを、了解する、──このようなものを幾年にもわたって持つことなど、ましてや永遠に持ちつづけることなど、われわれにはゆるされない。それがゆるされたとしたら、われわれはこの地球の住人たるにはあまりにも「超世的」となるであろう。」
ニーチェ『悦ばしき知識 第四書』)