( ゚Д゚)<真・女子力

「ところで、夫にはごくふつうだと思われる不具の女、もしそれ以外だったら望まないというびっこの女、夫には若々しく見える年のいった女、こういう女こそ女の世界で一番幸福なものではないだろうか。……人間の情熱はそれより先へは行けまい。女の栄誉とは、彼女にあって欠点に見えるところのものを熱愛させることではないか。びっこの女はまっすぐに歩くものではない。そういうことを忘れるのは一時の眩惑である。しかし、びっこを曳くがゆえに彼女を愛するというのは、彼女の欠陥を神のごとくにあがめることである。女が手にもつ「福音書」には、つぎのような章句を彫りこむのが、あるいは至当かもしれない。──「幸いなるかな、まったからざるもの、彼らに愛の王国属すべければなり。」
 たしかに容貌の美しさというものは、女にとって不幸にちがいない。というのは、彼女を見てひき起こされる感情には、このうつろいやすい花があまりにも多くの場所を占めすぎるから。人はちょうど、莫大な遺産を相続する女でも娶るようなつもりで、彼女を愛するのではなかろうか。しかしアダムの子らが追いかけまわす移ろいやすさい取柄を何ひとつめぐまれていない女が、人に味わわせ、みずからも示すところの愛こそはまことの愛であり、真に神秘的な情熱であり、魂と魂のはげしい抱擁であり、永久に幻滅の日のこない愛情である。」
バルザック『「絶対」の探求』)