( ゚Д゚)<ハイデッガー VS キリスト教神学者

「という次第で、第一者、つまり私が神学者と呼んだ人々と、彼らが代表しうる人々全員は、ハイデッガーに向かって言うであろう──「でもあなたが原-起源的な精神と呼び、キリスト教に疎遠だと主張なさっているもの、それこそキリスト教の最も本質的なものなのですよ。それは、あなたと同じように、数々の神学素や哲学素や一般に流布している表象の底に、私たちが目覚めさせようとしているものなのです。私たちはあなたがおっしゃることに感謝していますし、私たちに聴かせ、考えさせてくれ、そして実際私たちが認めているところのものを与えてくださることに対し、私たちから感謝を受ける権利があなたにはある。それはまさに、私たちが久しい以前から探し求めているものなのですから。そもそも、どれほどあなたが私たちに近いかご存知ですか? あなたがあの約束のことを、歴史の始まりと終わりの彼方の、西洋と東洋のさらに手前にある、朝以上に朝である暁のことをお話しになる時には。頽落と呪いのことをお話しになる時にはなおさら。さらに精神の悪について話される時にはなおさら。さらにトラークルの詩句、「神は 彼の胸に穏やかな炎を語った/おお 人間よ」の痕跡の内で、あなたが神のあの御言葉、神の語りかけ、──それを私たちは、先ほどの約束に近づけたいと思っています──を名指される時、そして、神の御言葉を、或る言い渡し、ないしは慰め・励ましといった、私たちを応答へと呼び招くものと調和させるときにはなおさら。さらに、われらが民の、黎明以降の来たるべき復活や、救済と救いをもたらす打撃について語るときにはなおさら。さらに何よりも、あなたが、神が与えたもうた打撃の使命、かの打撃という命運は、地上の民の導き、すなわち救うことだと明言しつつ、この「すなわち」とは、原-起源的でいまだ来たるべき出来事のなかにおける打撃と救済のこの交わりとは、詩人が歌い上げる讃歌──頌歌と言いましょう──であって、歴史家たちが物語る歴史ではないとおっしゃる時には、なおさらです。……あなたは今日ひとがキリスト者である場合に言いうる最も徹底したことをおっしゃっている。なかんずく、あなたが約束しつつ、それも原-起源性以前の国への帰を約束しつつ、神と退隠と炎と、そして火のエクリチュールについてお話しになる時には、あたなは、私の友人で同じ宗派に属するメシア的ユダヤ教徒から、似たような返答と同じような反響を受け取らないとも限りませんよ。……」」
ジャック・デリダ『精神について』)