( ゚Д゚)<COOL JAPAN

「まだ時差ぼけが直っていないのか、早く目が覚めて夜明けの町に出た。起きぬけの町を観察する。西洋人が一人で、しかもこんな早朝に表を歩いているというのは異様なはずなのに、通行人は実に慎み深く、ぼくの存在に気づいていないふりをする。飲食店の前では、昨日の客が使った箸が束ねられて、バケツの中で燃えている。こうやって汚れ物を片づけるのだ。ごみ収集のトラックが通るのを見て、アレクサンドル叔父さんのことを思い出した。清掃人の身なりを見たら、どんなに喜んだだろう。だぶだぶで幅広のズボンが、黒くて柔らかいりっぱなゴム長の中に押しこまれている。長靴は膝まであって、足先は親指のところで割れている──足のミトンといったところだ──。手には厚手の白い手袋をはめ、鼻と口は、耳にかけてゴムで止められた、四角いモスリンの布の下に隠れている。彼らを見ていると、体の構造がふつうでない──たとえば黒くて割れた足を持っている──ために、賤しい仕事をさせられている、特殊な人種なのではないかという気がしてくる。同じくらい賤しいのが、この街に見られる唯一の鳥、あちこちをわがもの顔に飛びまわっているように見えるカラスだ。ぼくの耳がおかしいのだろうか? 日本のカラスの鳴き声は、西洋にいる同種の鳥の啼き声に比べて、ひどく単純な気がする。どんなに耳を澄ましても「アー! アー! アー!」としか聞こえない。陽気な笑い声のように発せられるが、何ごとかを不機嫌に確認しているような音色だ。もう一度──一度でいいから──アイスランドでどうもぼくだけに聞こえたらしい、不思議な夜の鳥の、あの嘆くような銀の鈴の音に心地よく揺られてみたい。ところどころ家の屋根の上に、金色のかざぐるまを戴いた棒が立っている。その横で色とりどりの大きな布の鯉が泳ぎながら、柳の枝を輪にして作られた大きな口を開けている。これは五月五日の男の子の祭りを祝っているのだ。鯉の数は、その家にいる男の子供の数に対応している。これも札つきの叔父さんが見たら喜んだことだろう……。浮き彫り模様の紙で作った巨大な円形の花飾りが、列をなして並んでいる。陽気なことだ。と思ったら、残念ながら、それは野蛮人の思いちがいだった。弔いの行列だったのだ。円形の花飾りは、フランスの葬式の花輪にあたる。」
ミシェル・トゥルニエメテオール(気象)』)