( ゚Д゚)<antimessianism

「これは、はたして男女の人生成就への方向を目ざす偉大な第一歩であろうか? はたしてそうであるか否か? 結婚は男女の成就完成への大いなる助けであろうか、それとも挫折の道であろうか? これは非常に重大な問題であり、世の男女はひとり残らずこれに解答を与えねばならない。
 人間はすべて孤立した個々の魂にほかならず、われわれがなすべき至上の仕事はおのが魂を救済することであるとする非国教徒的、新教主義的観念からすれば、たしかに結婚はひとつの障碍である。もしわたしがただおのれ一個の魂を救済することにのみ全力をつくしているとすれば、わたしは結婚を捨てて顧みぬに越したことはない。それは坊主や隠遁者が承知していることだ。が、それと同時に、もしわたしがただ他人の魂を救済することにのみ汲々としているとしても、やはりわたしは、使徒や説教好きの聖者が承知しているごとく、結婚を捨てて顧みぬに越したことはあるまい。
 しかし、もしわたしが自分一個の魂の救済にも、他人の魂の救済にも専念しておらず、あまつさえ「救済」ということ自体がわたしには不可解だとしたら──じじつそれが不可解であることは白状する──そのときはどうか? 「救済される」ということばは、わたしにとっては隠語にすぎず、しかもそれは自惚の隠語にほかならぬ。そこで、もしわたしがこの「救世主」とか「救済」云々とかがわからず、あくまでも魂とは一生を通じて発展され成就されるべきもの、最後のどたん場まで維持され、養われ、発展され、さらに成就されるべきものであると考えているとしたら、いったいそのときはどういうことになるか?
 そのときわたしは諒解する──結婚もしくは結婚に似たものこそ絶対不可欠であり目先の発作的な必要を超えた人間の永続的な必要を古の教会はもっともよく知っていたことを理解する。教会は結婚を人生のために確立した──死後まで延期することなく、現に生きている魂の生命の成就のために結婚を確立したのである。」
D.H.ロレンス「『チャタレイ夫人の恋人』にことよせて」)