( ゚Д゚)<海とジェリー

「旅行の機会というものは、芸術家と同様、生まれるものであって、作られるものではない。その発生には、互いに喰い違った無数の事情が作用する。人がそれを意図したり、意志によって決定したりすることは、めったにありはしないのである──われわれはそうは思っていないかもしれないが。それはわれわれの天性の要求によって開花する。そして多くの旅行のなかでも最上のものは、空間的にのみならず内面的にも、われわれを別のところへ連れて行く。つまり、旅行とは、もっとも酬いられることの大きい内省の形式のひとつなのだ。……
 こうしたことを考えたのは、夜明けのヴェネツィアの街を眺めながらだった。そのときわたしは、多くの島々のあいだを縫ってわたしをキプロスへ運んで行ってくれることになっている船の甲板にいた。そしてわたしの目に映ったヴェネツィアは、無限にさざなみ立つ淡水の表面で影をゆらめかせている、ジェリーのように冷たいヴェネツィアだった。それはあたかも、痴呆性の発作に襲われた大画家が、世界の内面の目に目つぶしをくわせようとして、空にむかって箱いっぱいの絵具をぶちまけたかのような眺めだった。雲と水とが、絵具をしたたらせながら互いに相手の領分へ侵入して重なりあい、溶けあい、混じりあってしまったなかに、多くの尖塔やバルコニーや屋根が宙に浮いてただよっているさまは、何枚も重ねた上質薄葉紙のヴェールを通して見た、ステンドグラスの破片の思わせた。ワインの、タールの、黄土の、血の、ファイア・オパールの、熟しかけている小麦の色あいをおびた、歴史の断片の寄せ集め。と同時に、その全体が、鳩の卵のようにうっすらと用心深い青みのかかった明けがたの空へと、縁のところから濯ぎ返されていく。」
ロレンス・ダレル『にがいレモン』)