( ゚Д゚)<詩人哲学者

「答───では、フロイトの「コンプレックス」という魅惑的な概念について考えてみましょう。この語のすべての意味を数えあげたらきりがないくらいですね。最初、人びとはこの用語を何か変なものでも見るような様子でながめていたのですが、いまではしょっちゅう使うようになっている。そこから着想して私はドゥルーズとともに「配備」という語をつくりだしたのですが、この語はもともと科学論理学の領域に属するものでした。しかし、それは「コンプレックス」よりももっと広大かつ包括的な概念なのです。というのも、この概念は単に無意識の形成をさすだけでなくて、想像的表象や言語的連鎖、あるいは経済的、政治的、審美的、ミクロ社会的等々の記号論にも関係するものだからです。したがって、それは内包においては「コンプレックス」よりも貧しいけれども、外延においてはもっと豊かなのであり、「コンプレックス」の磁場から多様な起源をもつさまざまなカテゴリーを排除しないので、そこにたとえば機械といったような他の概念が結びつくこともできるのです。こうして、「言表行為の集合的配備」とも結びつくようなかたちで「機械的配備」についても語ることにもなるわけです。
問───その場合、そうして「機械の集合」という言い方ではいけないのでしょうか?
答───なぜかというと、「機械の集合」という言い方では、個人や主体が外部にとどまっているような空間的配置のイメージしか与えないからです。それに対して、配備という概念を使えば、主体はどのようにしてつくられるか、といったような言表行為や主体化の問題を提起することが可能になるのです。それはいっさいの公理的な思念と一線を画して、「概念の化学」にむかっていくということです。私は公理的な同質性よりも、不安定で、一時的、過渡的な化学式の方が好きですね。」
(フェリックス・ガタリ「生を発明する大小の機械」)