( ゚Д゚)<忘れえぬもの

「わたしの生涯全体が、同じ一日の朝となって拡がってゆく、わたしは毎日、最初の一行から書き始める。毎日新しい、そしてそれだけで独立している世界が創造され、わたしは星座の群れの中にいて、自分のことで夢中になっているので歌ったり、新しい世界を創造したりするほか何もできない気がふれた神になっている。その間、いままでの宇宙は瓦解しつつある。いままでの宇宙は、ズボンをプレスしたり、しみ抜きをしたり、ボタンを縫いつけたりする仕立屋の仕事場に似ている。いままでの宇宙は、赤く焼けたアイロンをあてられた、濡れた縫い目のようなものだ。縫い直しや修繕の仕事が後から後からあって、袖が長くされたり、襟が低くされたり、ボタンが別な場所に縫いつけられたり、ズボンの尻に新しいきれがあてられたりするのだが、新しい服が作られるということはけっしてない。創造がないのだ。毎日、最初の一行から書き始める朝の世界というものがあって、それから服が絶えず縫い直されたり、修繕されたりしている仕立屋の仕事場がある。わたしの生活はそういうものなので、それを夜の下水が貫いている。夜どおし、アイロンが濡れた縫い目にあたってじゅうじゅういうのが聞こえていて、いままでの宇宙の皮が床の上に落ち、その悪臭は酢のように酸っぱく感じられる。
 親爺が好きだった人たちはみんな気が弱くて、そして愛すべき人だった。彼らはいずれも、大陽が昇るまできらきら光っている星のように消えていって、静かに災難に遭ってこの世から消えた。彼らはいずれも、──彼らの栄光の他は何も後に残さなかった。彼らはいま、わたしのなかを、落ちた星でいっぱいになっている大きな河のように流れている。彼らは黒い河になって、それがわたしの世界を絶えず回転させている軸なのだ。この黒くて、果てしがなくて、絶えず拡がって行く夜の帯から、創造に浪費される際限がない朝が生まれる。毎朝、河が溢れて、袖や、ボタンの穴や、死んだ宇宙の皮の全部を浜辺に残してゆき、そこにわたしは立って、創造の朝の海を眺める。」
ヘンリー・ミラー「仕立屋」)