( ゚Д゚)<哲学的ラブレター

「      今朝は、君から何も受け取らなかった。何をする力もない。君に手紙を書く力も、ところが少しも途切れることなく君に手紙を書きたいのだ。君がここにいるときでもそうだ。君がここにいるときでさえ、君は私に取り憑いている、私は君にもう一度、助けをもとめたい、たぶん君が私と絶対的に別れるために、そして私にはもう何も欠けるものがないようになるために。こんなことは何も信じないでほしい、そう言っているのは私のうちの君だから。君はそれが自分の言葉だということを見分けるだろう。君は、私がここにいるときしか私を愛さない。しかし、「ここに」というのは、私たちが互いに翻訳しあえなかった語だ。「に」にしてもそうだ(私は君に与え、君に属し、君に話しかけ、君に捧げ、君に服従する)。いつか、それがどういうことなのか分かったら、すぐにでも電話してほしい
      君から遠く離れていると、私はいつも倒れこんでしまう。だからこそ君にしがみつき、絶え間なく君に手紙を書くことで、君の手や君の髪に掴まっている必要があるのだ。というのも、君は知らなかったのだけれど、私は絶え間なく君に手紙を書いている──たとえ君にすべてを送っていないとしても。そのようにして私が生を失うとすれば、それは、正しい宛先(なぜなら君はそこにはいないから)では、口調が私には拒絶されるからだ。口調は私には神の名だ、私の神、私が見出せないでいるものだ。あらゆるそれ、君にはには聞こえているね、あらゆるそれを私は知っている、そして、私はとても年を取っているから、すべてが私には潜在的に可能だ、そしてどんなジャンルであれ。私はどのジャンルにも我慢できない、そこに私は直ちにジャンル固有の定型表現を見出してしまう。究極的に私が抹消したいのは、言語のあらゆる個別化的特性だ、もっとも単純なものに戻り(電話で何も言わずに息を吐く、君が笑う、すると大西洋の潮が引く〔音がする〕、君も知っているよね)はするが、しかしそれは、「私の─愛する─新たな─言語を─創造する」ためではなくて(私はまだ君にこんな計略を仕掛けはしないだろう、もっとも私はそれを、あの古くからの郵便コードを、信じてはいるのだけれど)、自分自身にも見分けがつかないほど十分に「真実な」「語」を君に送るためだ。そうすれば私は放免され、どんなジャンルに対しても同定されず、誰かに嫌疑をかけられることもないだろう、私がもっとも無責任な仕方でペルシア語辞書を今君のために書き写すのと同じくらいに。」
ジャック・デリダ「送る言葉」)