( ゚Д゚)<the carrot and the stick

「ポンスはシュムケの手を取り、それを両手ではさみ、魂がすみずみまで通じあうような感動をこめてそれを握りしめ、二人はさながら長いあいだの別離ののちに再開する恋人同士のように、しばらくそのままじっとしていた。
「毎日、ここで晩飯を食べたまえよ!……」心のなかでは部長夫人の冷酷さを祝福しながら、シュムケはそう言葉をつづけた。……
「お二人の食事ができましたよ」シボのおかみさんが驚くばかり落ち着きはらってそう言いにきた。
 シュムケの友情に負う夕食を眼にし、それを味わいながらポンスの感じた驚きは、たやすく納得がゆくであろう。人生においてひどく稀にしか起らぬこの種の感動は、二人の人間が、「私のなかには、もうひとりのきみがいるのだ」と、絶えず互いに言いあうような不断の献身に由来するわけではない(なぜならば、ひとはそういうことにはすぐなれっこになってしまうからだ)。そうではなく、この種の感動は、世間の生活の酷薄さと内面の生活の幸福の証差との比較によって、惹きおこされるのである。二つの偉大な魂が愛情によって、あるいは友情によって結びついた場合でも、二人の友人を、あるいは恋人同士を絶えず新たに結びなおすのは世間なのだ。そういうわけで、ポンスは大粒の涙を拭い、シュムケはシュムケで、濡れた眼を拭わなければならなかった。彼らは互いになにも言わなかったが、そこにこめられた芳香にみちた感情の表現は、部長夫人によってポンスの心のなかに投げ入れられた砂利の苦痛を鎮めた。」
バルザック『従兄ポンス』)