( ゚Д゚)<恋の階梯

「愛すべき対象を神聖化するのに夢中になることができるためには──その対象をアーデンの森でとらえようと、クーロンの舞踏会で知り合おうと──まずその対象があらゆる点で(想像しうるあらゆる点でという意味ではない、現に眼に映るあらゆる点で)完全なものと思われねばならない。想像しうるあらゆる点で完全と思われるのは、第二の結晶作用が始まってから数日を経たあとである。これはしごく簡単だ。そのときになれば、ある美点が恋人のうちにあると思うためには、ただその美点の観点に達しさえすればよいのだから。
 なぜ美が恋の発生に必要であるか、これでわかる。つまり醜が最初障害となってはいけないのだ。まもなく恋する男は真の美 vraie beaute なぞには眼もくれず、恋人をあるがままで美しいと思うようになる。……
 恋が生れるまでは、美は看板として必要である。美は将来愛することになる対象に人々の賞讃を集めることによって、この情熱を準備する。きわめて強い感嘆は最小の希望まで決定的なものとする。
 趣味恋愛、そしておそらく情熱恋愛でも、最初の五分間においては、女は恋人を選ぶにあたって、彼女自身が男を見る気持よりも、他の女が彼を見る態度を重んじる。
 大公と士官の成功はここから来る。」
スタンダール恋愛論』)