( ゚Д゚)<非政治主義の憂鬱

「私は東京裁判の最後の日を傍聴して憂鬱であった。前夜からほとんど眠っていない上に風邪で頭が痛み腹をこわしていたという生理のせいもあったが、なにか自己懐疑のような心理のせいもあった。私は戦争中も政治の言葉をそれほど信じなかった。戦後の現在も政治の言葉はあまり信じられない。よく聞いてもいない。そこにも私の憂鬱の原因はあるようだった。私はこの被告等が行った政治と戦争とについてはほとんどなにも書いていないのに、刑の宣告のありさまだけを見に来て書くということも、自分ながらおかしな戯画だと思えた。東京裁判の判決は政治の一つの結末であろう。しかしこの結末は明るい到達、確かな解決であろうか。目前の日本の国情、また世界の情勢が頭から離れないのも、私の憂鬱の原因であった。この人達が歴史の最後の戦争犯罪者であるなら、私の憂鬱はぬぐわれ、町にはよろこびの声がひびいたであろう。しかしそれは祈念である。またよしんば日本はもはや戦争を起す力を、あるいは防ぐ力を失ったとしても、国内の政治はどう行われているのであろうか。今日も私はやはり明らかには知らないし、やはり冷やかに見過しているのだろう。過去の政治の惨害にひしがれながら、その象徴か残影のような戦争犯罪者達の姿を見て、現在や未来の政治を思うことも私には憂鬱の原因であったかもしれない。国際裁判に日本人の残虐が問われていることはさらに私の憂鬱の原因であった。残虐は世界の戦争の歴史につきものである。しかしすべての過去の罪悪の霊は新な罪悪のいいわけにはならないし、文明の今日戦争の残虐を行わない国がもしあるとして、日本がより多く行ったとすると、これほどいやなものはない。」
川端康成東京裁判判決の日」)