( ゚Д゚)<もう一人のダンテ

「つまり、ダンテからはイタリア詩の結果を引き出せないという洞察は、裏返したときにはじめて歴史的に有益となる。ダンテの詩はイタリア詩に由来せず、イタリア詩の結果でもなく、イタリア詩からは説明がつかない。同時代のイタリアのあらゆる表現形式と彼との深い対立、同時代の同郷人の反感、世界像から語の選択に至るまで、彼の全芸術領域が瞬時にして化石と化し、彼の思い出に対してすでにペトラルカがやりきれない態度を示し、続くイタリアの三世紀が『神曲』に抱いた関心は、完全に素材を限定され、そして結局、彼の詩人としての本質と精神水準を真に予感しうる洞察の作業は、著しく遅れざるをえなかった──それは十八世紀半ばにようやくヴィーコとともに始まるのであるが──こうしたすべては、無数の側面からして、その後ヘルダーとドイツ=ロマン派による中世の発見がはじめて勝利を収め明らかにすることとなる、あの等しい核心の前兆を意味している。過去に向かっても未来に向かっても等しく孤立したこの人の姿と詩──イタリアの精神発展の構造は、全く根本からこれに打ち破られたことに気づいているが──は、ヨーロッパ中世の力によって、したがって離心的な衝撃と爆発の源から押し出され、どこに露出するかには関わりなく、歴史的に再びヨーロッパ中世の力へと連れ戻されねばならない。あらゆる民族詩のように、その所属する民族精神に引き戻されてはならないのである。だが、イタリアの国民詩がその後完全に表明することとなるイタリアの民族精神自体は、そもそもヨーロッパ中世の力に対する正当防衛からはじめて生じ、この力を解体した後に、その分解生成物として世界史的な力を獲得する。だからダンテの地獄の嚢には、何よりも、フランチェスカからオデュッセウス、テーセウスとカパネウスからヴァンニ・フッチとマエストロ・アーダモに至る典型的な男女の代表者たちとともに、イタリアの来るべき全史が、イタリアのいわゆるルネサンスが収められている。言葉を換えていうなら、プロヴァンスに根ざし、ドイツとフランスの土壌に繁殖して、これらの原産地で絶頂を形づくることを得たヨーロッパ中世のポエジーは、最後に、その死の直前に至って、ようやくイタリアの大地に姿を現わし完了する。それゆえダンテは、己れの由来する諸条件に遡って属すこととなり、後の世に対しては双肩を開いて立ち塞がる。この巨大な絶望的な障壁は、「天堂篇」の終りの詩句とペトラルカの最初の数篇のソネットとの間に存在している。
 したがって言葉と詩と国民とを、独自の意味で、より高い意味で、いかに確立していようとも、イタリア語の唯一最高の国民的作品を《イタリア文学史》に含めてはならない──いわれなく、民族もなく、影響も与えず、息づくべき大気もなく、ラテン語でヘレニズム唯一の世界詩を詩作したルクレーティウス〔紀元前99年頃〜前55年〕が、ローマ文学史には入れられるべきでなく、ダンテがイタリア文学史から説明できないようにローマ文学史からは説明がつかず、しかもローマ文学史は彼なくしても進みゆくのと全く同様である。……
 ……真新しい決定的な研究全体から見れば、その対象たるダンテ、《新しい中世学のダンテ》は、イタリア文学史の対象にしてルネサンスの《先駆者》であったダンテとは、まさにオリオン座を地球からではなく牛飼座から仰ぎ見るほど異なっている。私たちは類別した歴史体系の一般的な関係網のなかで彼を眺めるのに慣れてきたが、この歴史体系は世界の接ぎ目からすでに解体し、彼の星座は新たな歴史的形姿へと移行しかかっている。この流れのなかで、そもそもひとつの識別点をあえて認めてもよいものだろうか? ましてや特徴づけなどできるだろうか? 《ダンテ伝》がこだわりなく用いていた一切の古い定式に、純粋な近似値から成る未知の複合体が、つまり、両端から核心点へ近づけようとはじめて試みられた限界概念が、取って替わったのではないか? 古い《ダンテ学》の微視的観察に代わって、新しい学の巨視的観察が、ようやく生成途上にあるのではないか? そしてそのレンズの前では、はるかな霧が歴史世界の塵と化し始めているのではないか?
 もちろんそのとおり。だから読者もこの文の筆者も、すでに闘いからは消え失せてしまったかに見える唯一の基本的真理で満足しておくべきなのだ。要するに、『神曲』は、まずもって審美的芸術作品ではないし、学術的世界像でもない。それは──およそその両者でありうる限り──至高にして第一の行為に、ひとりの中世のキリスト教徒の魂の救済行為に貢献している点で、そのどちらをも兼ねている。そのような行為として、『神曲』はダンテに生まれ、成長したのである。十字軍や寄進や修道院の建立に献身するように、この魂の救済行為には、神の裁きを経て打ちひしがれた心の生の危機全体が、その心のドラマティックな相克の、毀たれてはじめて煌めき出す豊かな宝が、ことごとく捧げ尽くされている。この見解から出発してそこに沈潜することこそが、巨大な作品の外側の構造を飾る装飾の、多かれ少なかれ精確に古代を模倣している全く重要とはいえない基準を測ることよりも、今後は重要となるだろう。」
(ルードルフ・ボルヒャルト「ダンテ」)