( ゚Д゚)<努力家ドストエフスキー

「十月十四日
 小説の進行のなかで以下のふたつの規則をかならず守ること。
 規則一。『白痴』や『悪霊』でおかしたような誤りを避けること。つまり、真実を直截に説明せず、かわりに(たくさんの)二次的な事件を、最後まできちんと言い切らずにほのめかすいかにも小説じみた形で描写し、出来事やさまざまの場面のなかで、長大なスペースをとって延々と引きのばし、そのくせ説明は少しもせず、推測やほのめかしで示した、そういう誤りを避けること。それらは二次的なエピソードなのだから、読者のそんなに大きな注目には値しなかったのだ。そしてそういうやり方をしたために、読者は脇道へとそらされてしまい、大道を見失い、注意力がこんがらかってしまった、まさにそのために、中心的な目的は、かえって、解明されず、ぼやけてしまったほどだ。
 こうしたことを避け、二次的なことに割り当てる場所はもっとわずかなものにし、すっかり短くし、できごとを主人公の周辺だけにまとめること。
 規則二は、小説の主人公は未成年だという点にある。その他はすべて二次的なことだ。彼〔ヴェルシーロフ〕ですら、二次的なことだ。叙事詩は未成年のなかに、そして未成年の理想のなかにある。あるいはこう言ったほうがよい──自分の理想の担い手であり発明者である、そのかぎりでの未成年のなかにあるのだ。」
ドストエフスキー「『未成年』創作ノート」)