( ゚Д゚)<レヴィナスは嫁に読ますな

「愛は〈他者〉を目ざし、〈他者〉の弱さを目ざしている。……あたかも曙光のようなこの弱さのなかで、〈愛される女性〉である〈愛される者〉が浮かび上がる。〈愛される者〉の顕現である女性的なものは、あらかじめ与えられ、中性的なものとして出会われている対象や〈きみ〉につけくわわるものではない。形式論理学が知っている唯一の類は、この中性的なものにすぎないのだが。〈愛される女性〉の顕現は、〈愛される女性〉自身の柔らかな組織とひとつのものになっている。柔らかさという様式は、極度の脆さ、傷つきやすさのうちにある。柔らかさがあらわれるのは、存在することと存在しないこととの境界においてであって、それは存在が輝きのうちで消えてゆく甘い火照りのようにあらわれる。柔らかさは、「牧神の午後」における水の精たちが示す「淡き肉色」のようにあらわれるのである。「淡き肉色」は「深い眠りにまどろむ大気のうちに舞い飛んでゆく」。それは個体であることを喪失し、みずからの存在の重みをおろして軽やかになり、すでに消失と目眩のようなものとなる。じぶんがあらわれるそのただなかで自己のうちに逃げ去っているのだ。そのように逃げ去ることで〈他者〉は〈他者〉であり、〈他者〉とは世界と疎遠なものなのである。世界は〈他者〉にとってあまりに肌理があらく、〈他者〉を傷つけてしまう。」
エマニュエル・レヴィナス『全体性と無限』)