( ゚Д゚)<STENDHAL IS FOREVER・2

「登場人物たちの性格、態度、対人関係は、当時の歴史的状況と密接に結びついている。当時の政治的社会的な状況が物語の筋の中にこれ程微に入り細にわたってリアリスティックに織り込まれたことはなかった。それ以前には、政治批判を目的とする作品は別として、小説はもとより、いかなる文学作品においても、このように倫理的体系的な仕方で、一人の下層階級出身の男をきわめて具体的な歴史的現実の中に置き、その中で彼の悲劇的な生涯(つまりこの小説ではジュリアン・ソレルの生涯)を展開していくという手法はなかった。全く新しい注目すべき現象である。ジュリアン・ソレルの他の生活圏、たとえば彼の父親の家、ヴェリエール町長レナール氏の家、ブザンソンの神学校なども、当時の歴史に照らして社会的に鋭く規定されている点では、ラ・モール侯爵邸の場合と変わりはない。副次的な人物たち、たとえば老司祭シェラン師、あるいは浮浪者収容所長ヴァルノーなども、王政復古期の特別な歴史的状況の中に置かれているからこそ、ごらんのとおりの人物となったのである。作中の事件を支えるこのような現実的な裏づけは、スタンダールの小説のすべてに見出だされる特徴である。『アルマンス』においては、まだ不完全であまりにもせまいが、その後の作品では充分な展開を見せている。『パルムの僧院』では舞台がまだ充分近代的な発展をとげていない場所なので、時として歴史小説といった印象を与えるが、未完成で終った『リュシアン・ルーヴェン』となると、ルイ・フィリップ時代を描いた小説として、そのよい例である。……小説から自伝的作品に話を転ずると、あの気紛れで突飛な文体の「エゴチスム」にもかかわらず、その時代の政治、社会、経済と、その本質においていっそう密接に、具体的に、意識的に結びついている点で、ルソーやゲーテの同種の作品よりはるかにまさっている。この作家における歴史的現実の影響には、右の二人に比べるとはるかに切迫したものがある。ルソーはもはや歴史的現実を体験することはできなかったし、ゲーテは、わが身から、もしこういう言い方が許されるならば、わが精神の肉体から、現実の歴史を遠ざけることを知っていた。」
(エーリッヒ・アウエルバッハ「ラ・モール邸」)