( ゚Д゚)<姉と酒呑む者にのろいあれ

「そのくせ椅子にまた腰をおろすと、姉はテーブルに片手で重い頬杖をつき、もう片方の手で瓶をひょいと傾けて高いところから派手に注ぎこむ。紅茶がなくなると、底に砂糖の沈んだ茶碗にまたウイスキーを思いきりよくついで、憂鬱そうな目で泰夫にも茶碗を差し出すように促す。二人とも酔いが顔に出ない体質なので、茶碗を唇につけて傾けあっているさまは、ひと休みして茶を啜っているところとすこしも変りがない。ただ酔いがまわると、姉の身体は見るからに柔かくなり、腹をすこし突き出し気味にして椅子の背からずり落ちそうにもたれかかり、スリッパを足で遠くへ押しやりながら、胸で深い息をつきはじめる。唇の色がいつもより濃くなったように見えるほかは、顔にはすこしも赤みが差さないのに、襟元からのぞく肌が薄赤く染まって汗ばんでいる。ほとんど口をきかない。ときどき泰夫に向かって眉を顰めて、「においがこもったわね。窓をすこしあけたら」とつぶやく。そして泰夫が窓をあけてきてまだいくらもしないうちに、「なんだか肌寒いわね」と言ってまた立たせる。泰夫は円椅子にもたれがないものだから、背をまっすぐに伸ばして姉のそばに控えている。
 そんなふうにしているうちに、姉の唇の下に面皰がひとつ熟れているのを、目に留めたことがあった。白く締まった肌の中で、ぽつんと一点酔いを集めて、奇妙に奔放な感じだった。「なによ」と姉が睡たげに目をこちらに向けた。「ニキビ」と答えて泰夫は自分の唇の下に手をやって、そこにも赤いふくらみがあるかのように中指の先でなぜた。姉も中指を唇の下に当て、泰夫の指の動きを眺めながら、面皰のまわりを指先でさすりはじめた。薄暗くなり出した部屋の中で、二人は黙って顔をつき合わせて、そっくり同じ手つきで、そっくり同じ型をした頤をいつまでも撫ぜていた。」
古井由吉『行隠れ』)