( ゚Д゚)<空前の責任ブーム

「「暫定的道徳」という表現には同意できない。もっとも要求の厳しい責任は、すくなくとも、われわれが論じてきた諸公理を盲目的に信用しないよう命ずる。……この超過分の責任にとっては、いかなる待機も可能ではないし正しくもない。暫定的諸規定との脱構築的な対決が、再-開始の疲れを知らない忍耐を要求することはありうるが、脱構築を動機づける肯定は無条件的、命令的かつ即時的だ──かならずしも、あるいは単にカント的ではないようなある意味で。……だからこそ、それは息つぐ暇も、休息も与えてはくれないのだ。それはつねに攪乱しなければならない、すくなくとも、あらゆる休息の制度化されたリズムを。それはつねに混乱させうる、土曜日を、日曜日を……そして金曜日を……。……
 ……ぼくが今言った超過分の責任は、いかなる沈黙も決して許さないだろう。繰り返そう。責任というものは過剰であるか、責任ではないかのいずれかだ。有限の、ほどほどの=計量された、計算可能な責任、合理的に分配可能な責任とは、すでに、道徳の法律化だ。これはときに、最良の仮定を考えればあらゆる潔白意識の、最悪の仮定を考えれば大小の異端審問官の夢となる。」
ジャック・デリダ「『正しく食べなくてはならない』あるいは主体の計算」)