( ゚Д゚)<本当に人生はうまくゆかない・2

「『恋しい息子たち』第一部は、モレル夫人の長男ウイリアムの死とともに終る。モレル夫人にとって、悲惨な貧窮状態から脱け出る唯一の手がかりであったウイリアムが苦学して社会に出、ロンドンで高給を得るまでの歳月は、不幸な生涯にようやく幸せの曙光の射しそめた歳月であった。長男の帰郷は、悲惨さに埋もれていた一家に人生の歓びと矜りとをもたらす。にもかかわらず彼らの希望は、ウイリアムが虚しい容色の他には何ら取柄のない女性を婚約者として選ぶときに跡形もなく潰えてしまう。彼は、自らの家族の面前で罵倒する気位の高い女性と既に引返すことのできない道の半ば以上の路程を歩んでいる。つまり彼の人生は、その両親がそうであったように、彼自身の配慮を超えるものによって決定されてしまっている。

 二人が発つ日、モレル夫人は彼らと一緒にノッティンガムまで行った。ケストン駅までは長い道のりだった。
「お母さん、ジップは浅薄な女なんだ。何も、性根に沁みることがないんだよ」
「ウイリアム。お前の口からそんなことを聞きたくはありませんよ」
 傍を歩いている女性のために、モレル夫人はぎこちなさを感じながらそう言った。
「いいんだよ、お母さん。彼女はいま僕のことをとても愛している。でも僕が死んだら、きっと三月も経たない内に忘れてしまうんだよ」
 モレル夫人は怖ろしくなった。ウイリアムの言葉のもつ、辛辣な寂かな響きのために、彼女の胸ははげしく鼓動しはじめた。

 いかにもウイリアムの婚約者は真実味のない女性である。しかしウイリアムは、死んでしまった自分を三月を経ぬ内に忘れ去る女性と何故結婚するのかという愚問を自らに問わない。問いに答えることが人生を変えることに繋がる人生であれば、そもそも彼の両親の結婚も、したがって彼自身の出生という事件もこの世の出来事ではなかったからである。人の願いや、ささやかな人の努力を無惨に裏切るものが人生の下層を流れていることを、見ようによっては愚かにも見えるウイリアムは既に知っている。「辛辣な寂かな響き」をもつ彼の言葉は、自らの破滅を着々と準備するものの存在を予感した者が口にする言葉であり、厳粛な諦めの響きを宿す言葉である。ウイリアムが家族の前で婚約者をののしることにも、不幸の予感に狼狽した若者の自暴自棄の振舞い以上のものが感得される。つまり彼は、罵言雑言を浴びせる相手を既に自分自身と同一の存在とみなした上で、自己を虐待しているということである。モレル夫人もまた、注目すべきことに、虚栄に満ちたこの軽佻浮薄な女性に対する批判めいた言葉を一切口にすることがない。娘のアニーが召使いのごとく処遇されるときに憤慨するだけである。むしろ彼女は、人前で婚約者を詰るウイリアムを叱責しさえする。この母親が息子に対し、盲目の愛などを注ぐことがなかったことは、ウイリアムの死に臨んだ彼女の態度によっても明らかである。

 医者が来た。肺炎であると彼は言った。それから、特殊な丹毒がカラーの当る襟首のところから発して、顔面いっぱいに拡がっていると語った。脳に来なければいいのですが、とも医者は言った。
 モレル夫人は荷物を解いて看病にかかった。彼女はウイリアムのために祈った。意識が戻り、自分に気づいてくれるようにと祈った。若者の顔は、ますます土色を濃くしていった。夜半に、モレル夫人は彼とともに闘った。囈言を言いつづけたウイリアムは正気に戻らなかった。二時に、彼は怖ろしい痙攣を残して死んだ。
 モレル夫人は、丸一時間の間、下宿屋の寝室で物音一つ立てずに坐っていた。それから下宿屋の主人を起こした。
 六時に、家政婦の扶けでウイリアムの死体を整えた。それから、荒涼たるロンドンの集落をめぐり、登記所と医者のところへ行った。
 スカーギル通りの小屋に、九時になってもう一通電報が届いた。
「昨夜ウイリアム死す。父の到着待つ。金持参されたし」
 アニー、ポール、アーサーが家にいた。モレルは既に働きに出ていた。三人の子供は何も言わなかった。アニーが怯え、すすり泣いた。ポールは父親を呼びに家を出た。
 美しい日であった。ブリンズリーの炭鉱では、白い蒸気の流れがうす青い空の陽光にゆっくりと溶けた。緩衝梁の車輛が頭上高くで音を立て、石炭をふるい分けてトラックに入れる篩が慌しい音を立てて動いていた。

 この小説の最良の部分で、作者の筆は気味悪いほど寂まり返っている。ウイリアムの死に直面したモレル夫人を動転させるほど、作者は人生に対して愚かしい期待を抱いていない。人生のうわべの現象に惑わされないために、ただ緊りつめた気配だけを際立たせたという印象を与える一節である。モレル夫人が、「丸一時間の間」長男の死体を前にして、「物音一つ立てずに坐っていた」のは、真実口にする言葉はなく、通り一遍の悲しみなど物の数ではないからである。せきあげる嗚咽すら彼女には無縁である。長男の死は彼女にとって、予測した最悪の事態が予測のままに成ったというに過ぎず、おそらくもはや耐えられぬものに再び耐えねばならないという苛酷さだけが彼女を打ちのめしている。にもかかわらず同じ日の朝、郷里の空は美しい陽光で輝き、炭鉱は平生の活況を呈しているのである。その実体を人の眼から隠し、表面の喜怒哀楽を当てがって、自然と人生は人を愚弄するかに見える。一見複雑に見える現象に惑わされない寂かな眼だけが、欺かれることなくその実体を透視するのである。」
(井上義夫『ロレンス 存在の闇』)