( ゚Д゚)<人生選択の(不)自由・5

「明白な事柄こそもっとも見極めがむずかしいもののようである。誰も、自分では物語とは何かということがわかっている、と思っている。しかし、作家志望の勉強しはじめの学生に、物語を書けと言ってみるといい。ほとんどあらゆるもの──思い出、エピソード、意見、逸話、その他この世のありたけのものを見ることになろう。だが、そこに物語が含まれていることはないのだ。物語とは、完結した劇的行為である。優れた物語の中では、その行為をとおして人物が示され、行為は人物によって統制されるのだが、そこから結果として出てくるのは、提示された経験全体から発する意味である。私なら、物語の定義として次のように言ってみたい。物語とは、ある人が人間であり、同時に個としての人間であるがゆえに、すなわち一般的な人間状況を共有し、さらに特定の個人の条件も兼ねて所有するがゆえに、そのある人間を巻きこむ劇的出来事である、と。物語は、つねに劇的な方法で人格の神秘に関わるものなのだ。私の家からちょっと行った所に住む田舎暮しの婦人に、短篇をいくつか貸したことがある。返してくれたときに彼女は、「そうですね、小説ってのは、ある人たちがどうしても自分の好きにやってしまうところを見せてくれるんですね」と言った。そのとおりだ、と私は思った。ある特定の人たちがどうしても自分に従って行動し、どんな支障があろうとも本来の自分なりに動いて行く様を示すこと──物語を書こうと思ったら、まさしくこんなつまらぬことから始めるのだと覚悟しなければならない。」
フラナリー・オコナー「物語の意味」)