( ゚Д゚)<Girls Be Terror

「おそろしくもあり平凡でもあるこれら二つの物語で、女性が不在であることは驚くべきことではないだろうか。それは父と息子の話、男性的な人物や男性間の序列の物語である。父なる神とアブラハムとイサク。妻サラは、何も話を聞かせてもらえない──ハガルについては言うまでもない。そして『書記バートルビー』はなんであれ女性的なものについてはまったく言及しない。ましてや女性の人物についてはまったく言及しない。掟の容赦ない普遍性に、その法の容赦ない普遍性に女性が決定的なし方で介入するようなことがあったら、犠牲的な責任の論理は変質し、ねじ曲げられ、弱められ、移動させられてしまうのだろうか。この犠牲的責任のシステム、二重の「死を与える」のシステムは、そのもっとも深い次元においては、女性の排除と犠牲なのだろうか。属格のさまざまな意味において、女性の排除や犠牲〔女性を排除したり犠牲にしたりすること、女性が排除したり、犠牲にしたりすること〕なのだろうか。」
ジャック・デリダ「死を与える」)