( ゚Д゚)<無知の罪

「私は西成で三年、山谷で十二年、都合十五年間の労務者生活を送ってきたわけだが、その私の眼には、世の中の底辺にはあるはずだという人間の気高さや美しさを見出すことはできなかった。山谷住人のマジョリティの姿は、私の何年間かの一般市民社会での見聞と照らしていえば、一般社会の住人と同じ程度には気高くも美しくもなかった。山谷住人の陋劣さは、一般市民社会の住人の陋劣さよりも洗練と多様性に欠け、はるかに単純で露骨だった。無知と卑屈と傲慢の三位一体を体現したような人々とは、腐るほど出会ってきた。知識それ自体にはさほどの意味はないのだろうが、知識を手に入れる過程で身につく教養なるものは、なるほど重要なものなんだなということが、これら三位一体を体現した人々と接触するたびに痛感させられるのだった。
 無知でありながら、性格の力のみで己の陋劣さを焼き切ったというふうの人々には会ったことがない。山谷の住人中、人品ともに優れていると私に思われる人たち(塚本さんや緒方さんや徳永さん)は、決して完全に知識と無縁な人々ではなかった。知識と完全に無縁な人々は、多くの場合、その無知のゆえにいや応もなく卑屈さと傲慢さを引寄せていた。自らは生活保護を受給している者が(私のドヤに住むじいさんなのだが)、ゴミ集積場で残飯を漁っている人のそばを黙って通り過ぎることができず、唾を吐き「ケッ! 乞食野郎が」と言ってしまう。正面からこの光景を目撃した私は、このじいさんに対し何か強烈な侮蔑語を発しなくてたまらなかったのだった。山谷では土台、陋劣さのレベルが違うのである。
 無知であることが恥と陋劣さにつながらないためには、どれほど例外的、超人的な意志力を必要とするかに想いを致せば、私は、無知は恥と陋劣さの母胎だ、と言い切ってしまいたい気持にかられる。無知であることが恥と陋劣さを生み出してしまわないほどに例外的な意志力をもつ人ならば、どこかの時点で知識にも向かっていっただろう。表面の偽善の裏で行なわれる腹のさぐり合いや足の引っ張り合いが、人間の営為としてどれほど上等なものであるかは、山谷でかの三位一体を体現した人々と一度でも接触すれば、いやでもわかってしまうだろう。」
大山史朗『山谷崖っぷち日記』)