( ゚Д゚)<日本永遠入門

「ものごとを単純に考へることは、私の信条である。この世の中に、無常と永遠といふ二つの相反する考へ方がある。月はみちかけするが、失われることがない、逝く水は逝きてかへらぬが、絶ゆることがない、かういふ考へ方が無常と永遠を一つのものの二面とする論理として大昔からある。しかし人間の世界ではこの応用は如何であらうか。逝く水は循環してゐるものと、わが遠世太古の人は考へた。これが日本神話の根本にある考へ方である。だから海の神は、高山の奥に鎮座してをられた。水はつねに天と地の間を上下循環してゐると考へてゐた。月のみちかけの考へ方はもっと明確に見たままで、栄枯盛衰の無常観とのかかはりなど毛頭ものこさない。
 日本の文化や文学の中で、無常観をさがすといふことは、私の考へ方からはさほど重要なことではなかった。日本の古道の根本の考へ方は、永遠だつた。わが神話はこの永遠の根底をなすくらしを、米作りとしてゐる。わが国がらは麺麭の文化でなく餅の文化である。これは非常に重大なところで、米作りのくらしといふものから永遠が考えられた。五年位の間なら、米だけで生きられる。何ら殺生食の力をかりずとも、米は完全食に近いものだつた。この米作りのくらしが、どういふ思想と道徳をうんだかといふことを明らかにするなら、儒教とわが神道の異なりが解けるのである。儒教はその世界を支配する権力者の心得をとくものだからである。
 われわれの先祖は永遠といふことを考へ、米作りといふくらしこそ永遠だと思つた。米作りといふことは、循環の理にもつともよくかなふものだから、必ず変動なく子々孫々に一貫するだらう、と考へた時の観念が、天壤無窮、萬世一系の思想である。これが日本の神話の根本であり、神武天皇肇国の精神の根底である。……
 この米作りといふくらしは、それを伝へる形とともに、この栄枯盛衰の世の中でもつとも永遠にかなふ生活であつた。わが日本神話はそのやうに教へてゐるし、私は思想の立場からさう思ふ。多分そう思わぬ人は少いと思ふ。これが神話意にもとづく天壤無窮萬世一系の思想の根本義である。その祭りの目的は、地上でも天上の神々のくらしと同じくらしをなすことが出来るといふ、天上での約束の完遂にある。」
保田與重郎「われらが平和運動」)