( ゚Д゚)<ないないづくし

「私は知っている、女のいない男とはどういうものかを、ひとりの女を信じ、ひとりの女のものでありながらも、その女を得ることができず、女のいない男として何年も過ごしたあげく、自分のものでない女を抱き、そしてホテルの一室で愛のかわりにその砂漠を味わうということはどういうものかを私は知っている。
 それは砂漠の中でももっとも荒涼としたものだ、それはなにかが欠けた生活ではなく、およそ生活とは言えない生活だ。たとえばあなたがのどが渇いていたとする、あなたは飲むこともできるし、水もある。あなたは空腹だったとする、食べることもできるし、パンもある、まわりにナツメヤシノ茂った泉もある。それはあなたが探していたものに似ている。
 だがそれは似ているだけで、探していたものではない。
 おまえはなにを望んでいたのか? 私は自問する。私は食べる、だが私が食べるのはパンではなくて土くれだ。私は飲む、だが私が飲むのは土くれだ。私は目の前にあるベッドに身をかがめたままでいる、この砂漠を前にして、服も脱がず、椅子の背にもたれていつまでも煙草を吸っていたこともあった。
 男はのどが渇いているのを思い出す。
 のどが渇いた! そう私は考える。私は渇きをいやす、だが、まだのどが渇いている。私は渇きを汚しただけなのだ。私はベッドの上にかがみ込んで飲む、そうすることによって私は自分を卑しめているのだと考える。私は膝を屈しているのだと考える。だが私の荒々しさは純粋だったことを私は知っている。」
(エーリオ・ヴィットリーニ『人間と人間にあらざるものと』)