( ゚Д゚)<記憶の残響効果

「つまり二人の間には幼なじみの関係が、おそらくは幼児愛が存立していて、それが親称二人称の「あんた du」を正当化する根拠だったのだ。この謎解きはおそらく最初に推測した謎解きと同じくらい浅薄ではなかろうか? しかしながらそれは問題の掘り下げに本質的に役立っていて、この幼なじみ関係が思いがけない仕方で、両者の現在の交際中に起こった事柄の細部をかなりの部分説明してくれることに私たちは気がつく。ノルベルト・ハーノルトが亡霊に肉体があるかどうかの問題に実験的に断を下すという欲求に駆られて、ツォーエ=グラディーヴァの手にみごとに加えたあの一撃は、他方では、ツォーエのことばが私たちに証してくれる、子供時代にもっぱら明け暮れていたという「小突いたりぶったり」の刺激のよみがえりに奇妙に似通っていないだろうか? グラディーヴァはこの考古学者に、二人は二千年前にもパンを分け合って食べたことがあるような気がしないか、との問いを向けるが、この不可解な問いかけは、私たちが例の歴史的過去に個人的過去を、すなわち娘のほうはいまも生きいきと思い出せるのに若い男のほうはすっかり忘れてしまっているらしい子供時代を代入してみるとき、にわかに意味深長なものになりはしないだろうか? 若い考古学者のグラディーヴァに関するファンタジーはこの忘れられた幼児期の記憶の残響かもしれない、という見方が、靄のはれるようににわかに立ち現われてきはしないだろうか? とすればこれはハーノルトのファンタジーの勝手な産物ではなく、彼自身はそれと知らぬがままに、つとに忘れてはいるけれども心のなかに生きて現存している、幼年期の印象という素材によって限定されているはずである。推測を通じてではあるにもせよ、私たちはこのファンタジーの因ってきたる由縁を個々の点について立証できるのでなくてはなるまい。たとえばグラディーヴァが明らかにギリシア人の血統を引いていて、名望のある人物、おそらくはケレスの神官の娘にちがいないとするならば、それは彼女がツォーエというギリシア風の名の持ち主であって、動物学教授の家族の一員であると知れたことの残響効果と大いに符号するだろう。」
フロイト「『グラディーヴァ』における妄想と夢」)