( ゚Д゚)<Super Stereotype Logic

「このように全体的支配は、われわれが通常推論の手段とし、またわれわれが通常そのなかで行動している意味連関というものをことごとく破壊する一方、〈超意味〉とでも言うべきものを他方では作り上げる。最も不条理なものまで含めてすべての行動・すべての制度が、この超意味によって、われわれには思いもよらなかったほどすっきりとした形でその〈意味〉を与えられる。全体主義社会の無意味性の上に君臨するのは、歴史の鍵を握りあらゆる謎の解決を見つけたと称するイデオロギーの持つ〈超意味〉なのだ。それと同時に、十九世紀のさまざまのイデオロギーや、科学的迷信とか半可通な教養とかがひけらかす奇妙な〈世界観〉が無害であるのは、それを本気で信ずる人間が一人もいないあいだだけだということもあらためてあきらかになる。自分が絶対的かつ全面的に正しいのだとこれらの世界観は主張するが、それがまじめに受け取られてしまうと、これらの世界観は発展して論理的な体系となる。そしてこうした体系のなかではすべての論理が必然的に展開して行く。なぜなら最初の前提が公理として受容れられているからである。この場合、このシステムの本当の異常性は前提そのものよりも、むしろその前提から推論がおこなわれる際の必然的な一貫性と、すべての推論の現実に変えてしまう一切の現実体験を無視した結論とにある。一義的な世界像を、まったく矛盾を含まない世界観を持ちたいというよく知られた願望は、現代の大衆が体験というものを奪われていることの結果であって、すべてのイデオロギーの真の動因となっているのであるが、すでにこの願望のなかに、かぎりない多様性を持っていて決して一元的に把握することのできない純粋な所与性としての、現実性と事実性への蔑視がある。この蔑視こそ全体主義のフィクティヴな世界の顕著な特徴の一つをなしているのだ。」
(ハナ・アーレント「全体的支配」)