( ゚Д゚)<顔だけ見て人を判断するな!

「森 これは自分で言ったら生意気になるんで、本当は遠慮したかったんですけれども、僕は自分が小説を書くということはしまいと思っていました。しかし、それでいろんな小説のもっている構造、こういうものをいろいろ考えて、そしてその構造というものを、だれかれとなく実現してもらいたかったのです。それが小島さんとの結びつきでね。小島さんにそれを実現してもらいたかったんです。
 だから虚子のことを僕はそんなに長く言ったわけでもなんでもないんで、一言なんですね。しかし、虚子のことをお書きになり、騒がれましたよね。新聞に騒がれた、時宜を得ているとかいうようなことをいわれて僕もなんだかニンマリした感じでした。
 ところが、僕はこう思っていたんですよ。虚子のことをお書きになったらいいんじゃないか、そう僕は言ったとしますね。だけども、「R宣伝社」の走り回る人とか、そういうような言葉が、あのときにも実は小島さんの口から出たんですよ。それはある程度虚子を読まれて、虚子の作品はみんな泣くんですなと、こうなんです。はあ、さすがに面白い見方をするなと思った。こういうことをいったら誤解されるかもしれませんけど、みな泣くんですな、というような見方というのは、たいていの批評家は顔だけ見て判断しているのに、謂わばスカートめくったところから見ている。これはいけるんじゃないかと思って、それから僕はものすごく虚子をおやりになったらどうですかということは申し上げました。
 泣くんですな、そういう見方をすることは、新しい切り口、命題をもつということですよ。それを走り過ぎていく人とかいうふうにね。そうすると、その命題によって、こちらの考えもある構造を持つようになる。そもそも、批評というものは再構成ですからね。小島さんの作品、たとえば『抱擁家族』なら『抱擁家族』というものを見て、僕が批評するということは僕もまた『抱擁家族』をつくってみ、そのつくられたものと、作品をコレスポンダンスさせ、それがうまくコレスポンダンスしたら、わが意を得たりと感動する。ですから、小島さんがお書きになっていたときは、僕も僕なりになにか考えてつくっていましたよ。」
(森敦+小島信夫『対談・文学と人生』)