( ゚Д゚)<批評/小説

「ブルーストは自分の逡巡を、当然のことながら、心理的な形で説明していますが、それは構造的な二者択一に対応していることにご注目頂きたいと思います。彼が逡巡している二つの《方》はヤコブソンが明らかにした対立の両項です。つまり、「隠喩」の項です。「隠喩」は、《これは何か》、《これは何を意味するか》という問いを発する一切の言述を支えています。それはまさにあらゆる「エッセー」の問いです。「換喩」は、逆に、別の問いを発します。《私の述べていることの後に何が続き得るのか》、《私の語っているエピソードは何を生み得るのか》。これは「小説」の問いです。ヤコブソンは小学校の教室で行なった実験を例に挙げました。《ヒュッテ》という語に子供たちがどんな反応をするか調べたのです。ある子供たちはヒュッテは小さな小屋だと答えました(隠喩)。他の子供たちは燃えたと答えました(換喩)。プルーストヤコブソンの教室の子供たちが二つに分れたように分割された主体なのです。彼は人生の出来事の一つ一つが注釈(解釈)を加える機会、あるいはまた、それぞれの物語的以前や以後を示したり、想像したりする筋書を作る機会となり得ることを知っています。解釈するとは「批評」の道に入ることであり、批評の理論を論じ、サント=ブーヴに反対の立場を取ることです。出来事や印象をつなぎ合わせ、展開するとは、反対に、たとえゆるみはあっても、少しずつ物語を織り上げていくことです。」
ロラン・バルト「《長い間、私は早くから床についた》」