( ゚Д゚)<ニンジンでもかじってろや馬が

「人間の声は存在するのか。ミンミンというのが蝉の声であり、イーアンというのが驢馬の声であるように、人間の声であるといえるような声は存在するのだろうか。存在するとして、この声は言語活動なのだろうか。音声と言語活動、フォーネーとロゴスとの関係はどのようなものなのか。人間の声のようなものが存在しないならば、どのような意味において人間はなおも言語活動をもった動物として定義されうるのか。わたしたちが立ててきたもろもろの問いは、あるひとつの哲学的な設問の範囲を確定する。じつのところ、古来の伝統によれば、音声およびその分節化の問題は、すぐれて哲学的な問題であったのだ。「音声については、哲学者たちほど多く論じている者はだれもいない」とセルウィウス〔四世紀のラテン語文法家〕にはある。また、言語活動にかんする西洋の省察に決定的な衝動をあたえてきたストア派にとっては、音声は弁証法の根元であった。ところが、哲学は音声の問題を主題的に提起することをこれまでほとんどしてこなかったのである。」
ジョルジョ・アガンベン「言語活動の経験」)