( ゚Д゚)<どうあがいても醜男

「ひどく歯並みの悪い男だった、この《お坊さま》は。虫がくい、茶色くなり、緑がかった歯石が上のほうまでおおいつくし、要するに、りっぱな歯槽膿漏だ。僕はそのことを彼の歯槽膿漏のことを口に出したかったが、彼のほうはなにやかやしゃべり立てることに夢中だった。そいつは、彼が物語るなにやかやは、観察していると、舌に押し出され虫歯にぶち当たってひっきりなしに膿をたらすのだった。舌は何ヵ所も細かく裂け、縁から血をにじませていた。
 こういう綿密な内部的観察は、僕の得意とするところ、いや趣味とするところだった。たとえば、言葉が形成され発音される仕方に留意してみると、そいつは、僕らの言葉は、唾だらけの背景の被害にほとんど耐えられないしろものだ。僕らの会話の機械的努力は排便よりもさらに複雑な、骨の折れるものだ。厚ぼったい花びらのように身をひきつらせ、息を吐き出し、吸い込み、歯牙カリエスの臭い柵越しに、ありとあらゆる粘液性の音を押し出す仕事に奮闘する唇、なんという拷問! おまけにこいつを理想に置き替えることを要求されるんだから。どだい無茶な話だ。しょせん生温い腐りかけの腸の囲いにすぎない以上、僕たちは感傷とは常に折り合えない。恋をするくらいは簡単だ、むずかしいのは別れずにいることだ。汚物のほうは、長生きも、成長も願いはしない。その点では、僕たちは糞よりもはるかに不幸だ、現状を維持したいあせりが、とほうもない拷問を構成する。
 なるほど僕らにとっては自分の匂いほど神聖な崇拝の対象はない。僕らの不幸はすべて、年がら年じゅうなんとかしてジャンなりピエールなりガストンなりでとどまっていなければ承知できないことからきている。僕らの肉体のほうは、落ち着かないありふれた分子の借り着をまとって、長生きという滑稽きわまる茶番劇にたえず逆らっている。そいつは、僕らの分子たちは、かわいい子供らは、せいぜい早く、宇宙の中へ姿をくらましたがっている! 《無限》からそっぽをむかれた、《僕たち》でしかいられないことを彼らは悲しんでいる。」
ルイ=フェルディナン・セリーヌ『夜の果ての旅』)